武田信玄(1521〜1573)

武田信玄  天文十年(1541)に父信虎を駿河に追放し家督を相続した。そして信濃を経略して北陸、日本海への進出した。天文十一年(1542)の諏訪頼重攻略、同十六年の志賀城攻略、小田井原の戦いなどに勝利し、諏訪・佐久を押さえた。そして小笠原長時と村上義清への攻略を開始した。天文十一年、十二年に越後の上杉謙信のもとに逃亡した。謙信は彼らの失地回復に大義名分で川中島へ出陣する。これが川中島合戦である。
 天文二十二年(1553)の第一回の対戦から計五回が通説で、第四回永禄四年の対戦を除き大規模な合戦はなく最終的な勝敗をつけなかった。結果的に信玄は信濃征服を決定的に、西上へと向かうことになる。
 永禄十一年(1568)、甲相駿三国同盟を一方的に破り、駿河の今川氏真を攻め駿河湾へ進出した。これによって北条氏康とも戦うが、同十三年には駿河一国を併合し京都を目指した。
 元亀三年(1572)、天下盗りをめざした信玄は、二万五〇〇○の軍勢を率いて西上。三方ケ原に家康を破り、翌天正元年、三河の野田城を攻略した。しかし、その時すでに信玄の体は病に侵されており、織田攻めを目前に甲斐に引き掲げざるをえなかった。そして、帰周の途沖、信濃の駒場で病没した。
 死因については、肺結核といわれているが、ほかにも、肺がん、胃がん、肝臓病、また突然の死だったこともあり、鉄砲傷などの諸説がある。死期の迫った信玄は、四男勝頼を呼んで、「なお三年、わが喪を秘せ」と遺言した。

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