前田利家(1538〜1599)

前田利家  前田利家は、天文七年(1538)尾張荒子城主前田利春の四男として生まれた。戌年に生まれたので、幼名は犬千代といった。15歳で織田信長に仕え、元服し孫四郎利家と名乗り、たちまち信長に寵愛される小姓となった。21歳でおまつと結婚し、同時に又左衛門と改名した。織田信長の赤母衣衆(あかほろしゅう)の筆頭となり、永禄12年(1569)に兄利久にかわって家督を継いで荒子城主となった。
 天正3年(1575)に織田信長によって越前の国割が行われ、「府中辺二郡」十万石が前田利家・佐々成政・不破光治の府中三人衆に与えられた。利家は、府中城の築城事業、家臣団の充実、検地や刀狩、さらに一揆衆の鎮圧を行うなどして、領地を支配した。
 本能寺の変のあと豊臣秀吉に仕えた。豊臣家では、五大老とし、徳川家康と並ぶ力を持ち、加賀百万石の基礎を築いた。
 慶長三年(1598)、秀吉が没すると、その遺言に従い、天下は五大老・五奉行の手に託され、家康は伏見城で政治を担当し、利家は大坂城に入り秀頼の博役をつとめることとなった。当初より、家康と石田三成ら反家康派の対立が深まりつつあったが、人望の厚い利家の存在が、家康の行動を牽制する役割を果たしていた。しかし、利家の体はすでに健康を害しており、翌四年、嫡子利長に秀頼を守るように遺言して没した。 臨終の病床でも、秀頼のことを案じながら、かっと眼を見開き、歯ぎしりをすると、二、三度うめいてから事切れたという。62歳。

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