関ヶ原の合戦 慶長五年(1600)九月

 豊臣秀吉の死後、徳川家康の独裁体制に対して反感を覚える諸大名も少なくなく、次第に石田三成を中心に反家康派を結集した。三成は奥州会津の上杉景勝と結んで家康を南北より挟撃する共同作戦を進めた。家康のもとへは奥州から上杉謀反の兆しとの報が入り、家康は景勝に対して速やかに上洛することを促したが、景勝は動かず、領国内の城郭を修築して警備を固めた。
 家康は、慶長五年(1600)六月六日、諸将を大坂城西の丸に集めて、上杉討伐を発表した。一六日には大坂城を発ち、七月二日に江戸城に帰城した。家康は城にて十五ヶ条の軍令を発し、全軍の部署と進路を定め、小山に二十四日に着陣。その時、待っていた上方から三成が挙兵し伏見城を攻略したという報を受け取った。家康は諸将を召集して直ちに三成討伐のため西上ことを決めた。上杉氏の備えに秀康を残して八月四日小山を発ち、五日に江戸に戻った。二十六日間江戸に在城し、形勢を見定るために動かなかった。
 一方、三成は美濃に進出して大垣城に入り西軍を結集。西軍の動向を逐一知らされていた家康公は、ついに九月一日江戸を発って東海道を上り、十三日に岐阜城に入った。翌十四日に本営を赤坂に移して東軍諸将と軍儀を開き、西上して三成の居城佐和山を抜き、そのまま大坂に進軍することを決めた。この作戦情報を得た大垣城の三成は直ちに西軍を関ヶ原に移動させて迎撃態勢を整えた。一方、東軍も関ヶ原に進出して、ここに両軍が対峙することとなったのである。
 九月十五日午前8時、関ヶ原の合戦が始まった。この決戦は一進一退を繰り返し、正午頃になっても勝敗は容易に決しなかった。しかし、西軍の小早川秀秋の寝返りを契機に、戦局は一挙に東軍有利となり、午後2時頃に西軍が壊滅して激戦は終結した。
 勝ちに乗じた東軍は直ちに佐和山城を陥れ、家康は二十日に近江の大津城に入った。淀城を経て、二十七日に大坂城に入り、秀頼と会見し西の丸に入城した。十月一日には、戦場から敗走していた石田三成ら西軍首脳が、京都の六条河原で斬首された。

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