吉田松陰 (1830〜59)長州藩士

吉田松陰  松陰は、天保元年(1830)長州藩の下級武士、杉家の次男として生まれた。五歳のとき、叔父吉田賢良の養子となった。吉田家は杉家の宗家で、もともとは松野姓を称し、織田信長の家臣だったと言われているが、代々、山鹿流軍学の師範をつとめてきた家柄であった。したがって松陰も、まず家学を学んだが、すでに11歳のときには、藩主の前で『武教全集』を講義して賞賛されているほどであった。やがて19歳になると家学の師範についている。
 嘉永三年(1850)、平戸、長崎に遊学したおり、アヘン戦争についての知識を得た。そのことが世界情勢、日本の危機へと目を向かわせた。翌年、藩主の江戸参府に従って江戸に出ると、兵学、国学、朱子学、陽明学を学ぶ。また佐久間象山に西洋兵学も学ぶ。そこで見聞を広めようと宮部と東北旅行を計画するが、許可が下りずやくなく脱藩して出発した。しかし江戸に帰ると脱藩の罪で国許に強制送還され士籍も剥奪される。
 嘉永六年(1853)に許されて再び江戸に向かうと象山のもとに出かけた。象山に知識を吸収するために海外渡航を勧められ、安政五年、ぺりーの再来航すると、金子重輔とともに密航を企てるが失敗する。松陰は自首し、自ら罪人となり、萩の野山獄で幽閉生活送ることになる。
 安政二年(1859)十二月、松陰は叔父の玉木文之進が開いた「松下村塾」の隣に幽閉されたが、翌三年、許されて、村塾で兵学を講ずるようになった。この松下村塾から多くの優秀な人物を輩出することになる。
 安政五年(1856)世情は騒然とし、大老井伊直弼は、断固たる処置に出てきた。松陰らは、老中間部詮勝の暗殺し、公卿大原重徳を長州に迎え、直接行動によって形勢を一変させようとするが、未然発覚し、松陰はふたたび野山獄へおくられた。翌六年、江戸へ送られ、十月、遂に斬罪に処せられた。齢30歳。

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