伊達政宗(1488-1565)

伊達政宗  父は米沢城主・伊達輝宗の子として生まれる。幼名梵天丸、元服して藤次郎政宗と称する。
 天正十二都市(1584)家督相続し、翌年父が二本松義継のために不慮の死をとげたのち、積極的に領土拡張に乗り出す。天正十七年(1589)芦名義広を摺上原(すりあげがはら)の戦に大敗させて会津地方を収めたのを契機に、南東北一帯に広大な勢力圏を築きあげた。
 こうしたことが豊臣秀吉の惣無事(停戦)令にふれて追及されたが、天正十八年(1590)小田原征伐に参陣して豊臣政権の支配下に降った。父祖伝来の地・伊達郡や会津地方は没収されたが、秀吉の奥州仕置きに従って葛西・大崎一揆を平定し、領内の検地を行なった。
 秀吉の死後まもなく、会津に入った蒲生氏郷との確執から、長女五郎八と家康の子忠輝の婚約により徳川氏に接近した。関ヶ原の戦では奥州戦線にて上杉方の白石城を攻め、戦功により刈田郡を与えられ、ここに伊達六十二万石の大勢が定まった。
 慶長六年(1601)仙台城と城下の建設に着手、検地や治水工事を行なって仙台藩の基礎を築いた。
 和歌、書、茶、能の素養は当代一級のもので、文化の導入を図り、桃山文化を仙台で開花させた。幼少のころ右眼を失明し、長じては「独眼竜」と畏敬されたが、死後の肖像には両眼を備えよと遺言したという。江戸桜田屋敷で死去。

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