明智光秀(1528〜1582)

明智光秀  美濃源氏の土岐明智氏の庶流で、美濃可児郡明智城を本拠としていた土岐明智氏の出身とされているが、確証はなく、その前半生は謎に包まれている。明智城を斎藤氏に落とされた後、砲術や兵法、築城、政治などを学び、越前の朝倉義景に仕えた。
 その後、義景を頼った足利義昭とともに織田信長のもとへ赴き、義昭に仕えた細川藤孝とともに入京の工作を行なって頭角を現わした。
 学問のほかにも連歌、和歌、茶の湯、書道など幅広い教養も身につけていた光秀は、信長に重用され、若狭、越前、近江、あるいは比叡山焼き討ちなどで功を挙げ、元亀二年(1571)近江滋賀郡五万石を与えられ、坂本に居城を築く。さらに丹波の平定での功によって、天正七(1579)には丹波一国二重九万石を受け、亀山城主を兼ねる。
 天正十年(1582)、本能寺で信長を討った明智光秀は、細川忠輿、筒井順慶ら頼みの諸将の援軍を得られず、そのわずか十二日後、山崎の合戦で秀吉に大敗。夜陰に乗じて坂本城へ落ち延びようとしたが、途中、小栗栖村で、薮中に潜んでいた恩賞日当ての農民に襲われた。竹槍で脇腹を刺されて重傷を負い、家老の溝尾庄兵衛の介錯で「逆順二門無し 大道は心源に徹す 五十五年の夢 覚め来たりて一元に帰す」と、遺偈を残して切腹した。その首は庄兵衛が土中に埋めたが、数日後、農民が掘り出して秀吉に届けた。55歳。

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