姉川の合戦 元亀元年(1570)六月

 元亀元年、織田信長は朝倉義景を討つために進軍したが、妹のお市が長井長政の妻となっていることから、浅井はうごくまいとタカをくくっていた。しかし、朝倉の本拠を討とうとするときに、浅井長政が朝倉加勢の兵を挙げ挟み撃ちになり、信長軍はやむなく退却した。信長は両者に対して怒りを爆発させた。
 六月、いったん岐阜に戻って兵を整え徳川援軍と合わせ二万五千の兵力をもって出動した。
 難攻不落の浅井長政の小谷城を落とすため、まず支城となる横山城を包囲し浅井勢を分断した。信長の陽動作戦は見事に成功し、朝倉・浅井軍は、横山城近くを流れる姉川に出陣してきた。
 この合戦で家康は先陣を望み、信長はこれを認めていただけに数を劣る徳川軍ではあったが必死で戦った結果、形成が逆転。朝倉軍は姉川を押し戻され、敗走した。
 一方、浅井軍は数の上では劣勢であったが意気込みが高く、合戦ははじまるや、いっきに信長軍を襲った。信長軍の十三段構えのうち十一段まで崩れ一時退却した。このとき、早くも朝倉軍に勝色を見せていた徳川軍の千人あまりが、浅井軍に突入し、形成が逆転。浅井軍はほどなく小谷城に向かって敗走した。
 激戦はじつは9時間、ついに朝倉・浅井軍は千七百余人の死者を出して敗走した。織田・徳川軍の死者は八百余人。姉川は死傷者の血で真っ赤に染まったという。

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