斎藤道三(1494〜1556)

斉藤道三   明応三年(1494)山城国の元北面の武士・松浪基宗の子として生まれ、京都の妙覚寺の小坊主から油商人として行商し、長井長弘に仕官したとの通説であるが諸説もある。一説には道三前半生は父の業績で、道三は父の跡を継いで長井氏を乗っ取り、さらに守護代斎藤氏の名跡を継いで斎藤利政と名乗り、遂には守護土岐頼芸を追放して美濃の大守となった。
 大守となった斎藤道三だったが、最期は悲運だった。家督を譲った義龍が、頼芸の子だという噂が国内に広まり、疑心暗鬼となった両者の対立は深まった。弘治二年(1556)、道三は義龍を廃嫡しようとして争うが、頼りにした娘婿織田信長の援軍が間に合わず、63歳のとき、長良川で戦い討死した。死の前日、末子の勘九郎にあて、「美濃のことは信長にまかせて、おまえは出家せよ」と遺言を残した。

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