賤ヶ岳の合戦 天正十一年(1583)四月

  明智光秀を討った秀吉は果敢に天下取りへと動き出した。それに対して、北ノ庄で戦局の動きを見守っていた柴田勝家は、雪どけを待ちきれずに、およそ二万の兵を発した。佐々成政、前田利家を味方とし、佐久間盛政を先鋒として北国街道を南下、柳ヶ瀬に陣を敷く。
「勝家出陣す」の知らせに接した秀吉は、伊勢からすかさず賤ヶ岳に進出。本陣を木之本におき、およそ七万で対峙した。両軍お互いに険阻な山に布陣していたため、先に動いたほうが負けとあって、なすすべもなく一ヶ月近く睨み合った。
 このスキをついて織田信孝が決起した。これに怒った秀吉が一万三千の兵をもって大垣城に急行した。その報が勝家方に知れると、佐久間盛政が奇襲攻撃をかけた。「柴田勢が動く」の知らせはすぐ、大垣城の秀吉に伝わり、秀吉はただちに木之本にかえした。沿道の農民たちに炊き出しなどをさせ、わずか5時間で駆け抜けた。これを「美濃返し」という。
 勝ちに乗じて傲る佐久間勢に羽柴軍が猛烈な追撃を行った。さらに、勝家軍へもさんざんにうち負かした。そんな中、前田利家軍は戦線離脱。柴田勝家も百余名の近臣とともに脱し、越前北ノ庄に遁走した。

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