松永久秀(1510〜1577)

 久秀の出自は謎につつまれている。三好長慶が畿内に進出して天文十年(1541)ころから右筆として重用された。永禄三年(1560)には大和を平定して信貴山城を大修築し日本で初めての天守閣を造営した。また三好長慶の家臣のなかでトップの地位をしめる。その後三つの悪事を犯すことになる。永禄六年に主家長慶の子を毒殺し三好家を滅ぼし、永禄八年には十三代将軍足利義輝を暗殺し、ついで三好三人衆との壮烈な権力闘争を繰り返し永禄十年の大和での戦闘で東大寺大仏殿を焼き払い、悪逆非道の典型のように言われる。天正五年(1577)、一度は服従した信長に反旗を翻したが、敗れて信貴山城にたて寵った。
 その最期は、「この乎蜘蛛の釜とおれの首の二つは、信長に見せるものか」と言って、信長が欲しがっていた秘蔵の茶釜とともに自爆したとも、切腹の際に持病の中風発作で醜態を見せるのを怖れて、灸を据えてから自刃したとも、伝えられている。68歳。

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