Rick Wakeman
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 1949年5月にミドル・セックスで生まれる。父親がピアニストだったので、4歳半からピアノのレッスンを始めている。1963年に〔アトランティック・ブルース〕に、1964年に〔ガードルド・ミルク〕に参加。1967年、優秀な成績で学校を卒業し、ロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・ミュージックの教職課程に進む。徐徐にカレッジには行かなくなり、1968年頃からレコーディングのセッションの仕事にも従事。1970年に〔ストローブス〕に加入。そこでは《骨董品》《魔女の森から》の2枚のアルバムを発表する。物足りなさを感じていた矢先、クリスとスティーブからの誘いに脱退し、1971年8月〔イエス〕に加入する。

 〔イエス〕時代には「キーボードの魔術師」と呼ばれ、キース・エマーソンと肩を並べる評価を得た。《Fragile(こわれもの)》《Close To The Esge(危機)》《Yessongs》《Tales From Topographic Oceans(海洋地形学の物語)》という名作を残す。

 一方では〔イエス〕に在籍しながら、ソロ活動も行う。1973年には《The Six Wives of Henry VIII(ヘンリー[世と6人の妻たち)》をリリースし評価を得る。1974年には《Journey to the Centre of the Earth(地底探検)》を発表し大成功を収める。このアルバム後に〔イエス〕を脱退する。1975年には《The Myths & Legends of King Arthur & The Knights of the Round Table(アーサー王と円卓の騎士達)》を、1976年には《No Earthly Connection (神秘への旅路)》をリリース。1975年には〔イングリッシュ・ロック・アンサンブル〕を結成するが翌年には解散。

 1976年に再び〔イエス〕に復帰。1980年には再び脱退。1985年には自身のレコード会社「アンビエント・レコーズ」を設立する。1988年にジョン・アンダーソンのプロジェクトに参加し、1989年には〔ABWH(アンダーソン・ブラッフォード・ウエイマン・ハウ)〕として《閃光》を発表する。ところが、1991年に〔90152YES〕と合体するが、1994年には一時脱退。1995年には復帰するが、1997年にまたもや脱退する。

 彼は多岐にわたり数多くのアルバムを発表する。90年まではポップ路線に傾倒し、90年代に入ってからは再び伝記などをもとにしたコンセプトアルバムに取り組む。1999年には《Return To The Centre Of The Earth (地底探検〜完結編)》が発表。これは技術的にも大いに前進し、壮大なロック・シンフォニーに仕上がる。また、息子のAdam Wakemanと共に、〔Wakeman with Wakeman〕として作品も発表する。

Aspirant_Sunshadows Country_Airs The_Classical_Connection2 Wakeman_with_Wakeman The_Heritage_Suite No_Expense_Spared Prayers Classic_Tracks Unleashing_The_Tethered_One Live_On_The_Test Almost Live in Europe The Piano Album

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