Pink Floyd
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The Piper At The Gates Of Dawn A Saucerful Of Secrets More Ummagumma Atom Heart Mother ZabriskiePoint Relics Meddle Obscured By Clouds The Dark Side Of The Moon Wish You Were Here Animals The Wall

 1965年にロジャー・ウォーターズ(B)、リック・ライト(Key)、ニック・メイソン(Ds)で〔シグマ6〕というグループを結成。その後、当時アート・スクール在学中だったシド・バレット(G)とケンブリッジ出身のジャズ・ギタリスト、ボブ・クローズを加え、1966年に〔ピンク・フロイド・サウンド〕として活動する。翌年、ボブ・クローズ脱退と共に、〔ピンク・フロイド〕と改名された。グループ名はシドが尊敬するブルースのピンク・アンダーソンとディッパー・フロイド・カシルの名前から命名された。結成当初はいわゆるブルース・バンドであったが、シドとリックの影響でサイケディックな音楽へと進み頭角を現してきた。

 1967年3月にシングル〈Arnold Layne / Candy And A Currant Bun〉(4月22日付のレコード・ミラー紙で20位に)、5月に〈See Emily Play〉、8月にはデビューアルバム《The Piper At The Gates Of Dawn(夜明けの口笛吹き)》を発表。イギリスで一躍スターとなった。しかし発表後リーダーのシドが精神異常をきたしライブの演奏もままならなくなった。そこで1968年にシドの友人でもあったデイヴ・ギルモア(G)が加入。そのことにより音楽性の幅が広がることとなる。セカンドアルバム製作時途中でシドは脱退した。

 以後バンドの主導権を握ったのはロジャー。天才不在の穴をコンセプトアルバムの作成という形で見事に克服。新生フロイドとして1968年に《A Saucerful Of Secrets(神秘)》、1969年にサントラ《More》、同年に2枚組大作《Ummagumma(ウマグマ)》を立て続けてに作成。1970年には当時流行していたクラシックとロックの融合させた《Atom Heart Mother(原子心母)》を発表し評価を揺るぎないものにした。1971年8月に箱根アフロディーテで初来日コンサートを行った。

 1971年に《Meddle(おせっかい)》、1972年にサントラ《Obscured By Clouds(雲の影)》を作成。そして1975年に最高傑作《The Dark Side Of The Moon(狂気)》を発表。その空間的に構築された音楽世界は素晴らしく、驚異的なセールスを記録し、音楽界の頂点を極める。1975年に問題作《Wish You Were Here(炎)》、1977年に社会的メッセージの強い《Animals》、そして79年に文明批判の超大作《The Wall》を発表。その中の〈Another Brick In The Wall(PartU)〉は全米bPに輝く。だが、83年の《The Final Cut》でロジャーはバンドを封印する。

 1985年、デイヴが中心に再活動をするが、ロジャーは拒否し脱退。当初は、バンド自体の活動停止をもくろんでいたが、レコード会社や他のメンバーからは同意を得られず、デヴィッド・ギルモアを中心にした新生フロイドが動き始めると、ロジャーは激怒し、訴訟沙汰にまで発展した。しかし、ロジャー側の敗訴に終わる。1987年にデイヴ・ギルモア、リック・ライト、ニック・メイソンの3名で《A Momentary Lapse Of Reason(鬱)》を発表。デイヴの影響で大衆的な音楽性へと変化する。94年に《The Division Bell(対)》を作成。

A Collection Of Great Dance Songs The Final Cut A Momentary Lapse Of Reason Delicate Sound Of Thunder The Division Bell p・u・l・s・e The Wall-Live Earls Court Echoes IntheFlesh The Piper At The Gates Of Dawn A Saucerful Of Secrets More Ummagumma

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