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イタリアンのプログレッシヴ・ロック・バンドのP.F.M.(Premiata Forneria Marconi プレミアータ・フォルネリア・マルコーニ)の前身は、1965年イタリアのミラノで結成されたバンド〔QUELLI(クウェリ)〕である。フランツ・ディ・チョッチョ(ds)、フランコ・ムッシーダ(g)、フラヴィオ・プレーモリ(key)、ジョルジョ・ピアッツァ(b)が中心となり、シングルを発表。プログレッシヴな音楽性を発展させ更なる可能性を追求した結果、マウロ・パガーニ(violin, flute)を加え1971年3月に〔P.F.M.〕が結成された。バンド名は北イタリア街のお菓子屋さんの名前を命名した。
1971年10月に1stシングル〈Impressioni Di Settembre(九月の情景)〉をリリースしヒットする。1972年に1stアルバム《Storia Di Un Minuto(幻想物語)》を発表し4位にランクされ、イタリア国内で一躍注目を集める。同年に2ndアルバム《Per un Amico (友よ)》を発表。
やがて〔ELP〕のヨーロッパ・ツアーに同行していたピート・シンフィールドにより、グレック・レイク等が設立したマンティコア・レーベルと契約を結ぶ。1973年にピート・シンフィールドをプロデューサーに、名盤《Photos Of Ghosts(幻の映像)》をリリースし、ワールド・デビューした。しかし発表後、ジョルジョ・ピアッツァが脱退し、代わりにパトリック・ジヴァス(b)が参加する。1974年に傑作《The World Became The World (甦る世界)》のイタリア語盤、英語盤を発表する。ライブ活動も精力的に行い、同年にはアメリカでのライブを収録した《Cook Live In USA》を発表する。1975年に初来日。1976年にヴォーカルに〔アクア・フラジーレ〕のベルナルド・ランゼッティを迎え《Chocolate Kings》を発表する。しかし、マウロ・パガーニが脱退。グレゴリー・ブロック(violin)が加入し、1977年にマンティコア・レーベル最後のアルバム《Jet Lag》を発表する。
その後は、イタリアのZooレーベルと契約し、イタリア中心の活動を行い、次第にポップ路線に傾倒したサウンドへと変化する。1978年に《Passpartu》をリリース。1980年にはオリジナル・メンバーのプレーモリが脱退し、ルーチョ・ファッブリ(key, violin)が加入。1980年に《Suonare Suonare》、1981年に《Come Ti Va in Riva Alla Citta》、1982年に《Performance》、1984年に《PFM? PFM! 》、1987年に《Miss Baker》をリリースし、80年代の総決算に仕上がる。
1990年代に入り、メンバーはソロ活動、映画・CM音楽制作、レーベルや音楽学校の設立、俳優へと進出する。しかし、1996年頃にTV番組のサントラ盤をディ・チョッチョとジヴァスがプロデュースしたことがきっかけとなり、再びメンバー4人が結集。1997年に復活作《Ulisse (ユリシーズ)》を約10年振りに発表。イタリア・ツアーを行い、そのライブを収めた2枚組《www.pfmpfm.it》が1998年にリリースされた。2000年に《Serendipity》を発表。翌2001年には約27年ぶり来日公演を行い、そのライブ盤が《Live In Japan》としてが2002年にリリースされた。2006年には《Dracula Opera Rock》《Stati Di Immaginazione》を発表する。 |
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