Jon Anderson | |||||||||
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HISTORY | ||
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ジョン・アンダーソンは1944年10月25日、イングランド北西部ランカシャー州アクリントン生まれ。父親が病気がちだったので、15歳で学校を卒業し、牛乳配達の仕事をした。1963年に地元で兄のトニーのグループ〔ウォリアーズ〕に参加し、シンガーとしてのキャリアをスタートさせる。フランク・シナトラやニーナ・シモン、ビング・グロスビー、ビートルズ、フィフス・ディメンションといったコーラスの上手いグループや、オーティス・レスティングやウィルソン・ピケットのようなシンガーなどに影響を受けた。 その後ソロ活動などや〔ザ・ウォーリアーズ、ザ・ガン〕といったバンドを経てを経て、1968年、ロンドンのウードゥア・ストリートにあったクラブ「ラ・シャッセ」で、クリス・スクワイアとの出会いにより〔イエス〕が誕生する。 〔イエス〕のメンバーが次々とソロ・アルバムを発表した後の1976年には初のソロ・アルバム《Olias Of Sunhillow(サンヒローのオリアス)》を発表する。79年にはキーボード奏者のヴェンゲリスとの合体で《Short Stories(ショート・ストーリーズ)》をリリースする。1980年にメンバーと対立して除籍。1980年には〔YES〕は解散する。その時アンダーソンは、イエスの音楽の作り方が計画的でありすぎて自由が余りなくなったと語る。同年に《Song Of Seven(七つの詩)》、82年に《Animation(アニメーション)》をリリースする。 彼の音楽性は〔イエス〕での活動を通じて、善と悪、調和と不調和などの概念を投影したり、東洋哲学からの影響を受け独創的な世界を創作する。また、ソロになってからは独創的な精神世界を表現しファンタジーな空間を創り上げる。また、キーボード奏者のヴァンゲリスと共作で、後のニュー・エイジ・ミュージックに近い作品を発表し、多くのファンを陶酔させる。80年代半ば、アメリカで出会ったインディアンの長から学んだヒーリング魂から癒しの要素が織り込まれるようになる。 1983年に新生〔90152YES〕として再結成する。ソロとして85年に《Three Ships(スリー・シップス)》、88年に《In The City Of Angels(イン・ザ・シティ・オブ・エンジェルス)》を発表する。88年に、イエスはポップグループになりすぎたとして、再び脱退。その夏にヴァンゲリスの故郷のギリシャのハイドラ島で過ごし気持ちをリフレッシュする。そしてロンドンでスティーブ・ハウを訪ねたのをきっかけに、〔ABWH(アンダーソン・ブラッフォード・ウエイマン・ハウ)〕を結成し、2枚のアルバムを発表する。 ところが1991年に分裂していたところが合体し〔8人YES〕が誕生する。やはり迷走は続き、1994年には〔90152YES〕が集約される。 同年としてソロ活動として《Deseo(デセオ)》、《Change We Must(チェイング・ウィ・マスト)》、95年に《Angels Embrace(天使の抱擁)》、96年に《Toltec(トルテック)》、97年に《The Promise Ring》、《Earth Mother Earth(聖なる地球の詩)》、98年に《The More You Know》をリリースする。 |
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