Marillion
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Clutching At Straws The Thieving Magpie〜La Gazza Ladra B'Sides Themselves Seasons End Holidays In Eden Brave Afraid Of Sunlight This Strange Engine Radiation Marillion.com TheBestOfMarillion Anoraknophobia

 1977年12月、ミック・ポインター(ds)が出身地のバッキンガムシャー、エールベリーで、隣人の紹介から地元4人編成バンド〔エレクトリック・ジプシー〕に参加する。その時に、ダグ・アーヴァイン(b/vo)と出会う。1978年、音楽性の違いから〔エレクトリック・ジプシー〕を脱退したミック・ポインターとダグ・アーヴァインは、J.R.R.トーキンの小説「シルマリルの物語」からバンド名をとり、〔Silmarillion(シルマリリオン)〕を結成した。1980年に音楽雑誌の募集広告によりスティーヴ・ロザリー(g)が参加。さらにブライアン・ジェリマン(key)が加わって〔Marillion(マリリオン)〕と改名する。地元中心に活動するが、ヘヴィ・メタル・ブームが根強く、あまり歓迎されなかった。11月にダグ・アーヴァインが脱退。代わりにヴォーカリストにスコットランド出身のフィッシュことデレク・ウィリアムス・ディック(Vo)、ベーシストにディズ・ミネット(b)を迎えた。約70回のギグを敢行し、ファースト・アルバムに収められる曲などを次々と披露していく。11月にブライアン・ジェリマンの代わりにマーク・ケリー(key)が参加し、12月にはディズ・ミネットが脱退する。しばらく4人で活動するが、1982年3月にピート・トレワヴァス(b)が加わる。

 1982年8月29日にイギリスの伝統的ロック・フェスである第22回レディング・フェスへ出場し、熱狂的な支持を受ける。その後EMIと契約を結び、ジェネシスを手掛けたこともあるディヴィッド・ヒッチコックのプロジュースで、10月にシングル〈Market Square Heroes〉をリリースする。大変な反響を呼び、サウンズ、ケラングに掲載されているシングル・チャートで初登場3位、以後11週間に亘りランクインする。UKチャート60位。1983年2月にセカンド・リリースとしてシングル〈He Knows, You Knows〉を発表し、UKチャート35位となる。そして3月にファースト・アルバム《Script For A Jester's Tear(独り芝居の道化師)》をリリースし、UKチャート7位に輝く。ピーター・ガブリエル在籍時の〔ジェネシス〕を彷彿とさせる完成度の高いサウンドを聴かせてくれるが、その類似性に賛否両論が起こる。しかし、プログレ・ファンから熱狂的な支持を集めていくようになる。この〔マリリオン〕の成功によって、同時期のプログレ系のバンドも注目され、それらを総称して「ネオ・プログレッシヴ」と呼ぶようになった。発表直後にオリジナル・メンバーであったミック・ポインターが脱退する。6月にはサード・シングル〈Garden Party〉がリリースされUKチャート16位に輝く。

 1983年10月にドラムがダリル・ウェイズ・ウルフのイアン・モズレー(ds)に落ち着き、84年3月にセカンド・スタジオ・アルバム《Fugazi(破滅の形容詞)》を発表する。UKチャート5位。ハード・ロック的質感を加えたこの作品は、当時のヘヴィ・メタル・ブームの盛り上がりにも符合し、彼らの人気は不動のものになっていった。同年、イギリスとカナダでのライブ・アルバム《Real To Reel(リアル・トゥ・リール)》も発表。UKチャート8位。ライブでの演奏も定評があったが、この演奏も、噂に違わぬすばらしい出来ばえであった。

 1985年にフィッシュの少年時代をもとに作成された経験をコンセプト・アルバム《Misplaaced Childhood (過ち色の記憶) 》をリリース。全英1位。先行シングルの〈Kayleigh(追憶のケイリー)〉も全英2位の大ヒットとなる。さらにアメリカでもこのアルバムは評判を呼び 、全米47位のヒットを記録した。2年後の87年に酒とドラッグをテーマにした《Clutching At Straws(旅路の果て)》を発表。全英2位。より分かり易いサウンドでコンパクトな仕上がりとなった。その後、アメリカ・ヨーロッパと精力的にツアーを行う。88年にフィッシュが突然脱退を表明し解散が危ぶまれた。この年発表するライブ・アルバム《The Thieving Magpie〜La Gazza Ladra(伝説への序章)》を最後にソロへ転向する。

 1989年、新しいヴォーカリストのスティーブ・ホガース(vo)を迎えて再出発し、《Seasons End(美しき季節の終焉)》をリリース。商業的には成功せず、サウンド的にもフィッシュ時代末期の延長のようなものだった。1991年に《Holidays In Eden(楽園への憧憬)》をリリース。ポップ的傾向を強めた結果、フィッシュ時代からのファンが離れることになった。そして1994年にサウンドが全く異なるコンセプト・アルバム《Brave(ブレイヴ)》を発表。自殺未遂の少女が橋で発見される事件をもとに作りあげた素晴らしい作品で、全英10位に輝いた。翌年にもコンセプト・アルバム《Afraid Of Sunlight(アフレイド・オブ・サンライト)》をリリースするが振るわなかった。

 1995年、EMIの人事異動なども原因となって契約が切れ、ポニー・キャニオンへ移籍。1997年に《This Strange Engine(ディス・ストレンジ・エンジン 〜遠い記憶に)》、1998年に《Radiation(レイディエーション)》をリリースするが、モダン・ロック的傾向になるなどサウンドが変化しファンを失っていく。1999年には、契約する会社もなく、自主制作で《Marillion.com》を発表する。2001年に一時EMIとの契約を復活させ《Anoraknophobia》をリリースする。

 2004年に《Marbles》を発表。精力的なプロモーションを行い、シング〈You're gone〉が全英7位に輝き、久々のヒットとなる。多くのメディアが「マリリオンが息を吹き返した」と絶賛する。2007年には《Somewhere Else》を発表する。

Between You And Me TheBestOfBothWorlds Marbles Somewhere Else Script For A Jester's Tear Fugaz Real To Reel Misplaaced Childhood Clutching At Straws The Thieving Magpie〜La Gazza Ladra B'Sides Themselves Seasons End

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