Karl Jenkins
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 カール・ジェンキンスは1944年2月17日、南ウェールズのペン=クローズに生まれる。教会のオルガン奏者でありコーラス・マスターの父の手ほどきで6歳からピアノを始める。11歳でコワートン・グラマー・スクールに通い、〔ナショナル・ユース・オーケストラ〕でオーボエを演奏し主席奏者の座に着く。ウェールズ大学とロイヤル・アカデミー・オブ・ミュージックの大学院で音楽を学ぶ。在学中にジャズに興味を覚えてサックスを始める。その後、ロンドンのジャズ・シーンで演奏活動を開始する。
 1969年に結成されていたイアン・カー率いるジャズ・ロック・グループの〔Nucleus(ニュークリアス)〕に参加。72年にこのバンドで、モントリオール・ジャズ・フェスティヴァルで首位に輝く。
 そして同年に〔Soft Machine (ソフトマシーン)〕に加入する。〔ソフトマシーン〕は、マイク・ラトリッジ、ケヴィン・エアーズらを中心に1966年に結成されたジャズ・ロック・グループの大御所である。カンタベリーシーンにおける代表バンドで他のグループに大きな影響を与える。メンバーを頻繁に変えながら成長を続けてきた。そのためサウンドも初期のサイケ的音作りから中期のフリー・ジャズ・スタイルへ、そして後期にはフュージョン路線へと変化をする。カール・ジェンキンスが加わった時、バンドには、既に結成時のメンバーは1人しか残っておらず、音楽性はジャズ・ロックからフリー・ジャズへと移行していく。アルバム作成が進むごとに彼のバンドの中で力を増し、やがて主導権を握るようになる。
 彼が参加した〔ソフトマシーン〕のオリジナル・アルバムでは、1973年の《Six(6)》から最後のアルバムとなった1981年リリースの《Land Of Cockayne(ランド・オブ・コケイン)》まで合計6枚となる。特に最後の《Land Of Cockayne》では、彼が演奏のほかに、全ての作曲、編曲、指揮までおこなった。バンドは1980年には自然的解消してしまう。
 〔ソフトマシーン〕は2001年に元主要メンバーのエルトン・ディーンとヒュー・ホッパーによる再結成の動きがあった。しかし、バンド名の使用について解散使用権をもつカールが拒否されたため、翌年に新バンド名〔ソフト・ワークス〕として出発している。
 一方カールは解散後、作曲の仕事に勤しむようになる。'80年代末から、〔ソフト・マシーン〕の同僚であったマイク・ラトリッジと共に、CM音楽の世界で活躍する。そのほとんどは、BBCなどのテレビ番組やコマーシャルの音楽だった。ここで彼はD&ADの賞「ベスト・ミュージック」を2回勝ち得るなど、作曲家として飛躍的な活動をしている。
 1995年に、デルタ航空のコマーシャルを機に〔Adiemus(アディエマス)〕の活動をスタートする。この成功によって、彼の名は世界中に知れ渡るようになる。このプロジェクトとして6枚のオリジナル・アルバムをリリースしている。カール個人の作品としては、1996年に《Diamond Music(ダイアモンド・ミュージック)》、1998年に《Imagined Oceans(イマジンド・オーシャンズ〜幻想の海)》、2001年に《The Armed Man - A Mass For Peace(平和への道程)》(2001年)、2005年3月、自身の父親に捧げられた《Requiem(レクイエム)》を発表する。

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