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 エイジアは1981年、〔イエス〕のスティーヴ・ハウ(G)が〔ELP〕〔PM〕のカール・パーマー(Ds)とニューグループについて話しあい、〔キング・クリムゾン〕〔UK〕と経てきたジョン・ウェットン(B, Vo)を誘い、〔バグルズ〕〔イエス〕でプレイしたジョフリー・ダウンズ(Key)を加え、プログレ界で勇名をはせたメンバーで結成された。ウェットンのUK時代の経験を元に、4分間のポップ色強いサウンドを目指し、ドラマチックでコンパクトにまとめられた作品を発表する。

 1982年のデビューアルバム《Asia(詠時感〜時へのロマン〜)》はビルボードで9週もの間1位に輝く大ヒット を記録する。翌年に《Alpha(アルファ)》をリリースし、USA年間アルバム・チャート1位を獲得する。

 1983年秋、MTVによる日本から全米への衛星生中継「エイジア・イン・エイジア」という大プロジェクトが企画された。ところが、来日直前にウェットンが脱退し、代わりに〔ELP〕のグレック・レイク(Vo)が加入。急場しのぎのレイクは歌詞もメロディも、ろくに覚えておらず残念な結果となった。
 1984年2月、一度は離れたジョン・ウェットンが戻り、それに呼応して音楽性の違うスティーヴ・ハウが3月に脱退することになる。後任ギタリストをオーディションし、マンディ・メイヤー(G)が加入。こうしてサード・アルバム《Astra(アストラ)》を発表されたが、セールス的には今ひとつだった。翌年には解散状態に陥る。その後、3人は連携をとりつつも、ウェットンは〔ウェットン・マンザネラ〕へ、カール・パーマーは再び〔ELP〕へ、ジェフリー・ダウンズは〔GTR〕へと活動の場を移す。

 1989年、再結成へと動きだし、新ギタリストにパット・スロール(G)を迎える。翌年に《Then And Now(ゼン・アンド・ナウ)》、1991年にライヴ盤《Live in Moscow 09-XI-90(ライヴ・モスクワ)》を発表する。ところが、ロシア・ツアー後に再びウェットンとパット・スロールが脱退する。

 1992年に《Aqua(アクア)》をリリース。新たにウェットンの代わりにジョン・ペイン(B, Vo)を加え、ギターはアル・ピトレリ(G)を中心にスティーヴ・ハウまで名を連ねている。その後、オリジナル・メンバーのパーマーが脱退。新たにMichael Sturgisを迎えて1994年に《Aria(天空のアリア)》を発表。ダウンズ中心のグループとなり、音楽的にもAOR要素が加わり変わっていく。メンバーを変化させながら、1996年に《Arena(アリーナ)》、1997年に《Anthology(アンソロジー)》、2000年に《Aura(オーラ)》、2004年に《Silent Nation(サイレント・ネイション)》をリリースする。

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