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<本文から>
「されば。折入って、伺いたい儀がございまして。−ほかでもありませぬが、最前、御両所のお留守中に、ここへ、水を持って見えた女がござったが、ありゃ、ご老人たちの連れの者でございましょうか」
「ははあ。向うの母星に泊っておる、品のよい、お女中のことでござるか」
「はい」
「はははは。いや、ありゃ、こうでござるよ。其許を助けて、発地の原から、この宿へ運んで来た晩のことじゃ」
と、ふたりは老人らしい温容に笑い皺をよせて、交々に、その夜の狼狽したさまを語り出した。−殊に、扇子が周密な注意を払って、療治を手伝ってくれたことを、心から感謝するように、つまびらかに話して、
「こっちどもは、ただここまで運びこんで来ただけのこと。それ以上の手当は、あのお女中の親切でごぎる。こんどお会いなされた折は、よく礼を申されたがよろしかろう」
だが鉄生は、その僥倖と好意に感謝する前に、意外な人間から意外な恩をうけたことに、心のうろたえを感じないわけに行かなかった。−いや、扇子の方から、そんな再生の恩義をうけたことは、意外というよりも、むしろ心外といわなければならない。
「では、何と仰っしゃいますか」
思わず肩を前へつきだして、
「−すると、拙者がここへ助けられて参った当夜、自分の傷口を縫ってくれたのは、あの婦人でございますか?」
「いかにも」
と、痩せた方の老人は、大きくうなずいて、
「それのみでなく、急ぎの旅をのばして、薬飴門の面倒まで見てくれたのじゃ」
「むむ。…そうですか」
彼は、低いうめきをのんで、黙然とうなだれた。もう、これ以上、深い話を聞く勇気もなく、老人たちに会釈をして床の上へ、身を投げた。 |
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