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<本文から> 驚かされるのは、歴史上に名を留めた塾生の数だけではありません。
最も驚嘆すべきは、彼らの大半が松下村塾の近所に住む、ごく普通の少年に過ぎなかったという点です。
幕末は、比較的自由な学風を持つ、私学の台頭を許した時代でもありました。官学の形骸化された学問だけでは、目まぐるしく変動する時の勢いに、対応し切れなくなったのです。
松下村塾と並び称される幕末の私塾に、大坂の蘭学塾適塾(緒方洪庵主宰)と、九州日田の漢学塾威宜園(広瀬淡窓主宰)があります。
それぞれの塾の成り立ちや性格を、ここで比較することはしませんが、いずれも、幕末から明治にかけ、多くの人材を世に送り出した点では、松下村塾に共通するものがあります。
しかし、この二つの私塾が松下村塾と決定的に異なるのは、適塾と威宜園には全国各地から選りすぐりの「秀才たち」が集まってきたのに対し、松下村塾は「近所の少年たち」が中心だったという点ではないでしょうか。 |
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