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<本文から> 次は徳川氏ですが、これも別段天皇にお願い申し上げ、そのお許しをいただいて政権の座についたのではありません。もちろん、将軍宣下は受けていますから、頼朝以来の先例によって征夷大将軍の職には天下の政権が附随しているのですから、天皇が特に天下の政権をまかせると仰せられる必要はなかったのだと解釈することは出来ます。しかし、頼朝は詐取し、尊氏は奪取したという沿革を考えますと、御委任というより泣寝入りと説明した方が適切ではないでしょうか。
どうして私がこんなことをくどくど申すかといいますと、寺田屋の壮士等によって計画されたことは、幕末維新史において最初の幕府からの大権奪還の拳であり、その失敗が寺田屋事変ですから、幕府政権というものの成り立ちを究明してみたくなったからです。
幕府政権の成り立ちは以上申しました通りのものですが、江戸時代約二百七十年の間に、幕府は朝廷から委任されて日本の政治をつかさどることになったのだという常識が出来ました。長い間平和がつづき、学問がさかんになったためです。
当時の学問は、中国伝来の儒学が主流です。儒学の盛行に刺激されて国学も成立し、さかんになりましたが、各時代を通して主流をなした学問は儒学です。申すまでもなく、儒学は道徳の学問であり、政治の学問ですから、日本人中の頭脳の優秀な人々が熱心にこれを学ぶことになりますと、京都にお出での天皇と、江戸にいなさる将軍とは、どういう関係のものかと考えざるを待なくなって来ます。学問とはそのように理屈っぽいものであることは、皆様すでに御承知です。
人々は大いに考えました。すると、儒学という学問の性質上、天皇を日本国の最上の権威とせざるを得ません。儒学には史学の面がありますが、儒学の史学は「尊王賤覇、中国至上、外夷蔑視(あるいは撃攘)」の思想が根本になっています。これは朱子学の史学において最も鮮明ですが、朱子学にかぎらず、儒学そのものにあるのです。王覇ということば、尊王攘夷ということばがすでに春秋の時代からあることをもってもそれはわかいソます。
このような学問ですから、この学問をしている人々としては、どうしても天皇を日本国の最上の権威者とせざるを得なくなるのです。しかし、その人々も幕府を香足するわけには行きません。何といっても、幕府は社会の秩序と平安の元締ですからね。またこれを否定するようなことを言っては、一身一族の滅亡になりますからね。天皇を最高権威としながら、幕府の存在理由も認めることが必要です。そこで、案出されたのが、「将軍は天皇の御委任を受けて、日本の国政をとっているのである。幕府とはそのようなものである」
という理論です。将軍が天皇から委任なぞ受けていないことは、ずっと書いて来た通りですが、これで皆満足したのですね。 |
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