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          南原幹雄−鉄砲三国志

■日野の鉄砲製造の起こりと衰退の原因

<本文から>
 日野の鉄砲製造は、領主蒲生氏郷の政策としてはじめられた。氏郷は織田信長配下の傑出した戦国武将であり、戦略と商業の両面からの政策で、日野の鉄砲産業の育成につとめた。それは城下に鉄砲町、鍛冶町が、弓矢町、大工町などとともに日野城のちかくに町割りされていることでもわかる。はじめは刀鍛冶集団の町だったのを鉄砲町にあらためたのだという。
 ところが信長の覇業をうけついだ秀吉は氏郷を伊勢松ケ島十二万石に加封、移転させた。このとき鉄砲鍛冶の一部は氏郷について松ケ島へ移住した。これがために日野鉄砲鍛冶の発展はおくれた。日野城下がもっとも繁栄したのは氏郷時代であり、氏郷が去って日野城下の勢は衰えた。現在、日野鉄砲鍛冶が技術と生産の両面にわたって、国友、堺におおきく水をあけられているのも、氏郷の移封が最大の原因であろう。商業政策の面でも日野は衰えを見せた。そのために日野の商人たちは領内に見切りをつけて、天秤棒に荷をさげてどんどん領外へでて紳巧瀬雅的な商売をするようになった。これが日野商人のはじまりである。氏郷はその後会津若松四十二万石へ移封されたので、日野商人は遠く奥州へまで行商するようになり、やがて全国へ足をのばし、出店をもうけるまでになった。
 外へでていって成功した日野商人にたいして、内にこもった日野鉄砲鍛冶は逆の運命をたどっていったのだ。鉄砲鍛冶は地付きの工場でこつこつと手づくりの生産をするものであり、外への出口を見つけることができなかった。くわえてあたらしい技術をきそう製造業であるから、各地の鉄砲鍛冶はいずれも秘密主義をとる。たとえ一部の技術は開放したにしても、肝心のところの技術はけっして公開はしない。その技術によってすこしでも他に優れた鉄砲を生産することに鍛冶たちの存在価値はある。日野鉄砲鍛冶はその技術開発において、国友、堺の鉄砲鍛冶におくれをとったのである。
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■重友は日野鉄砲は存亡の危機を救うべく旅にでる

<本文から>
「そうか、庄平もおなじことかんがえとったか。大したもんやな」
「へえ、そうでもせんと、日野鉄砲は日に日に後れをとってしまいます。重友さまは日野の年寄をつぐお方ですから、旅には出られんとおもうてました」
「日野鉄砲は存亡の危機にある。今回の戦を見てみい。大谷隊は日野鉄砲をさかんにつこうたが、徳川方は江戸城の鉄砲蔵にしまったまんまや。そしてつかわんかったほうが戦に一勝った。大谷さまもつまるところは全滅や。日野鉄砲もついとらん。それで旅にでる決心したんや。すぐにほかえらん。長旅になりそうや」
「そら、そうでっしゃろ。どちらへまいります」
「どこも一長一短あるが、つまるところは堺が無難やろな。人の出入りも多いし、人の目もそうきびしゆうない。技術も上や。どこかの鉄砲鍛冶屋にもぐりこむことができるやろ。根来や種子島へも行ってみたい」
 重友はいずれは勝正の跡をついで鉄砲年寄になる身として、日野鉄砲をこのままにしてはおけぬというつよい気持を持っていた。日野鉄砲は氏郷時代には、国友、堺とならび称された。それが氏郷が去ってからしだいに凋落し、今や安鉄砲と蔑称されるにいたっている。これをこのままにしておけなかった。日野をかつてのような鉄砲名産地にもどしたかったのである。
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■晒を足首に巻いた時に巻張鉄砲の作り方がわかる

<本文から>
 垂友は晒を足首の近くからしだいに上へ巻いていった。庄平がやるよりずっとうまく巻ける。重友は無心に巻いていった。
 そのとき、重友の脳裡にふと閃くものがあった。一本の足を芯棒にしてぐるぐると晒を巻いていくおこないが、まったくべつの行為を連想させたのだ。重友の左足はいわば鉄砲つくりの際の真金にあたる。そして細長い晒は鉄の細板である。炉で赤熱させた鉄の細板−絶精強に隙き間なくびっしりと斜めに巻きつけてゆき、接合部分を沸付けて真金をぬけば、巻張筒ができる道理ではないか。そして漆で表面を何度も塗りあげれば巻張鉄砲の簡になる。
 「これや!」
 晒を足に巻きながら、重友はさけんだ。
 「巻張簡や!」
 もう一度、重友はロにした。
 「何がですねん」
 唐突だったので、庄平には重友の言葉の意味がわからなかった。
 「庄平、巻張筒のつくり方が今わかったんや。わしの足を真金とかんがえてみい。そして晒を鉄の細長い板だと瀦もうんや。これを熱く焼いて真金に巻いていきびっしりと掛合沸付けし、真金を抜きとれば鉄砲の筒ができるやないか。これが巻張筒や。荒巻の素簡よりもずっと強いわけや。沸付けにするんやから巻きつけた継ぎ目も見えん。これが巻張簡のつくり方や」
 やや興奮気味に重友は言い切った。
 「なるほど、それは道理や。そのやり方ならば巻張筒がつくれまんな。これが巻張簡の秘伝やったんや」
 庄平も感じ入った。
 「わかってみれば、何ということはない。ごく当り前のことや。一枚の瓦金を荒巻にするのが素筒で、鉄の細板をぐるぐる巻きつけてゆくのが巻張筒や。まったく簡単な理屈やないか。どうしてそれが今まで長いあいだ分らんかったのやろ」
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■大阪冬の陣で日野鉄砲が日の目をみた

<本文から>
 真田の鉄砲隊の大半は日野鉄砲である。あたるわあたるわ、十分にひきつけているので射程距離は短かすぎるくらいだ。撃つ弾すべてが敵に命中した。すばらしい射撃精度である。
 折から時刻は冬の暁である。あたりはまだ薄暗い。押し寄せてくる敵は後退することもできず、城際の塀、柵に取りついた敵も後から押されて逃走は不可能である。
 「撃て、撃て、撃てっ、撃ちまくれ!」
 鉄砲隊の隊長の号令はここを先途と攻撃一本槍である。日野鉄砲はほとんど間隔をおくこともなく連続射撃を敢行した。撃ち手と装填する者がべつであるから、連射は可能である。
 日野鉄砲のつるべ撃ちがつづいた。
 「よう当るなあ。それに寄手の兵ども、ようけ死んでくれる。こんな楽な戦はないわ。さすがは真田幸村さまや。昌幸さまの血筋をひいておられる。話に聞く神川の合戦のときとまるで同じやないか。真田は徳川勢とは相性がええのやろう」
 真田丸最前線のやや後方の塀際に立って重友は感嘆し、舌をまいた。寄手は幸村の術中に完全にはまったのだ。はめた幸村の策も大したものだ。文兵衛が自分以上の将と秘めあげ、重友を幸村につけただけの価値は十分にある武将である。こんな名将のもと、よき戦場ではたらき場をあたえられた日野鉄砲も幸せものだ。
 これまでの長年月、つねに不遇不運をかこってきた日野鉄砲にも、ついに幸運にめぐまれるときがきた。
 「重友さま、ようござりましたな。日野鉄砲がようやく日の目を見ることができました。わたしは長いあいだ、この日のくることを夢に見とりました。日野鉄砲をつくりつづけておって幸せでした」
 庄平も感激の面持ちで、感涙さえうかべていた。
 「庄平、まだこれは初戦じゃ。この戦に勝っても、攻防戦はこれからまだつづく。安心ばかりはしておれんぞ」
 重友は注意した。
 「それにしても、これはどの勝ち戦は滅多とありまへん。完勝でござります」
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