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<本文から> しかし、敵の退陣をあっけらかんと見ている手はない。敵より早く陣ばらいして、敵の意表に出てどぎもをぬくのも、武将の技傭というものだ。
ゆとりのある、のんきな時代であったといえばそれまでのことであるが、戦争にロマンチシズムもあれば、ヒューマニズムもあり、芸術もあった時代だ。この時代の武将らは多かれ少なかれ、戦争を一種の芸術と見て、手際を競う点があったが、景虎はわけてそうであった。彼ほど戦争が好きで、彼ほど戦争にたいして芸術家が芸術制作におけるような興奮と陶酔のあった人はない。彼が生涯女を近づけなかったというのも、芸術家の芸術にたいする、あるいは宗教家の宗教にたいする捨身と犠牲の感情である。
馬をかえすと、直ちに全軍に便番を馳せて、引上げにかかった。物音一つ立てず、迅速をきわめ、夜の明ける頃には、その本軍は善光寺平を出て、北国街道を北へ北へと帰りつつあった。 |
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