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<本文から> 「帝を自家薬籠中のものとするのは大変かもしれぬ。天皇家をとりまく摂家、清家、大臣家、羽林家など人数だけにはこと足りるが、人物はみな千年の歴史のなかで隙けてしまっておる。恐れるに足らぬ。が、恐るべきものが一つある」
家康はそう言って秀忠の顔を見たものだ。
「…………」
秀忠にはおもいあたるものがない。
「天皇家に駕輿丁という職があろう。いわば駕籠かきだ。だが、彼らは天皇、上皇の乗物をかつぐばかりではない。以前は比叡山の天台座主の乗物をもかついでおったそうな。その連中はな、天皇家の忍者もつとめる。洛北の隠れ里や山中で兵道をきびしくきたえ、忍術をまなんで、密偵の役から刺客の役まではたす。恐ろしき者たちよ」
「八瀬童子ですか」
「八瀬童子をあまく見てはならぬ。八瀬童子はただならぬ者だ。もっと以前には静原の冠者たちが、おなじ役目をつとめておったそうな。後醍醐帝のときより、静原の冠者から八瀬童子に替わったのだと言う。静原は八瀬にちかい隠れ里で、こやつらも八瀬童子に負けぬ強者だったと言われておる」
「八瀬童子と静原冠者にございまするか」
秀忠は家康の顔を見て、感心したように言った。
死の前年に家康がことさら言ったことだけに、秀忠はその言葉をずっとわすれていない。
その家康は没してからすでに四年がたっている。今は元和六年の春である。秀忠は賢い男である。世間一般に流布されているような謹厳実直なばかりの人物ではない。それはあくまでも表の顔だ。時と場合によっては、(狸親父)と言われた父家康をもしのぐかとおもわれるような策謀を弄することもあれば、人がおどろくような残酷さをしめすこともある。
秀忠は家康からゆずられた天下を確固たるものとして代々徳川家につたえる使命をおびていた。秀忠はこの使命を絶対にはたさなければならない。三男の秀忠はそのために家康から資質をみとめられ、兄秀康をしのいで、四男の弟忠吉、六男の弟忠輝をおさえて将軍位をかちえたのだった。 |
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