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<本文から> 織田信長は年に七度の進物を古府中に届けて来た。まるで属国であるかのごとき、慇懃な態度を示すのは、織田信長が京に上るための下心をほのめかすものであった。
武田の家臣のみならず今川の家臣団の多くは、信玄が駿河に来ることを望んでいた。信玄が信濃制覇に示した武略と治世をもってすれば駿河一国を安定させることはたやすいことだと考えていた。暗愚な民真の下にいるより天下制覇の可能性のある大名に従ったほうがいいと考えるのは当然なことであった。
(義信様どうかお館様のお心に従いますように)
しかし、部将たちのその願いは志磨の湯にいる義信には届かなかった。
信玄と義信の話し合いは三日三晩におよんでも堂々巡りをつづけていた。二人に余人は近づくことができなかった。信玄と義信は食事のとき以外は話し合っていた。ときには双方の声が高くなることがあったが、すぐ低くなった。そしてしばらくするとまた声が高くなり、急に低くなるという状態が続いた。
義信は信玄を説いた。
「信義なくして、なんで天下制覇ができましょうや。同盟国を裏切って、攻めこむなどということは言語道断です。そんなことをすれば、今川だけでなく北条をも敵に廻すことになるでしょう。腹と背に北条民政と上杉輝虎の大軍を受けては、かえって苦しい立優に追込まれるでしょう」
義信の意見に対して信玄は
「戦国時代に信義などというものは存在しない。強い者が打ち勝つのが戦国の習いである。いま駿河に出ないと、必ずや駿河は、松平と北条の分割所有するところになるだろう。駿河に進攻すれば、北条とは仲が悪くなるだろう。或いはその機に北条と上杉の和陸も考えられる。だが、北条も上杉も、自国を治めることで汲々としている。とても甲信を攻略する余裕はないだろう。義信、小さな信義にとらわれては凍らぬ。天下を制覇して、この国から戦いをなくすことが信養を世に問うことになるのだ。それこそ源氏の血を享け継ぐ武田家のなすべきことだ」
信玄は義信を説いたが義信は頑として応じなかった。五日五晩の父子の議論の末、どうしても二人の意見が合致しないと見たとき信玄はとうとう最後の切り札を出した。
「お前の考えが、たとえ余の意見と相違したとしても、行くべき道がこうだときめられたら従うべきであろう。そして、その行くべき道を指す者は余である。余がこの国の領主だからだ」
「父上の命令が、絶対のものであることはよく知っております。でも私はその意見に賛同することはできません。父上がどうしても、駿河に兵を向けるというならば、この義信をまず血祭りにあげてからにしていただきたい」
義信は蒼白な顔をして云った。
信玄と義信の会談はそれで終った。信玄は深いため息をついた。 |
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