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          新田次郎「武田信玄 林の巻」

■敵地を攻略するとまずその地の治安に取りかかる

<本文から>
 晴信は村上勢力は一掃されたと見て、論功行賞を行った。真田幸隆にはその子昌幸を古府中に人質として出す条件で上田市の北方秋和三百五十貫の地を与えた。この他、室賀山城の小泉書見斎に所領安堵の書状を与え、内村、八木沢、福田、浦野、禰津、福井、清野寿量軒、根津などの地方豪士にそれぞれ、土地を与えているが、だいたい旧領を安堵してやったというようなものが多かった。晴信は小県の完全掌握を終ると、更に奥信濃へ向って進攻の気配を見せた。長尾景虎はこの報を聞いて、再び兵を率いて信濃に入って来た。
「おのれ長尾景虎め、こんどこそ討ち取ってやるぞ」
 飯富兵部は晴信に先陣を願い出たが
「そちは塩田城主であろうぞ。城主が出陣したら、あとを誰が守る」
と云われると、二の句がつげなかった。晴信は決して無理はしなかった。
 敵地を攻略すると、まずその地の治安に取りかかり、その地が名実共に武田になびいたところで、更に前進するという作戦を取った。そして、その前進基地には、彼のもっとも信頼する武将を置いて守らせた。
 かつて諏訪には板垣信方を置き、いま深志城には馬場民部がいる。そして、塩田城には飯富兵部を置いたのである。
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■桶狭間の戦いは少数精鋭の兵を率いての奇襲に成功

<本文から>
 他の部隊に知らされ大混乱が起きた。このときの織田信長の軍勢は二千、三千、五千、というようにうなぎ登りに吹聴されていった。当時信長の総兵力を結集したところで、三千かせいぜい四千しかないのに、五千の大軍が、いくら豪雨の中だからといって、警戒厳重な今川軍の本隊に斬りこめるわけがなかった。常識的に考えれば、信長は少数精鋭の兵を率いての奇襲に成功したと見るべきであろう。
 その後の史家も、この時信長が率いていった兵力について、それぞれ独自な見解を述べている。結局はっきりした人数は分らない。信長自身も分っていなかったのではなかろうか。とにかく、豪雨の中で、絶大将及びその幕僚の多くを討ち取られた今川軍は指揮系統を失った。もはや、軍隊ではなかった。今川軍は放走した。
 山本勘助は戦いが終ったあと、今川義元の遺体(胴体)を馬につんで、桶狭間をはなれ、勘助の故郷三河の牛久保の大聖寺に葬った。
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■霧の川中島の戦い

<本文から>
 わが軍が攻撃に移るときである。それまでは、ふりかかる火の粉を払っておればよい。
いかなることがあっても陣を出て戦うな、本陣よりの命令なきかぎり勝手に動いてはなぬーみぎのように伝えよ」
 むかで衆がいっせいに散った。
 しばらくは、薄気味悪いほどの静けさが続き、そしてあちこちから騒音が起った。各部隊の移動が始ったのである。各部隊は、信玄の命令のように、本陣を中心にして集結し、敵の奇襲に備えた。その騒音は大合戦を前にした大軍団の武者ぶるいのように霧を揺すぶった。
 むかでを描いた旗差物を背にした伝令は、信玄の報告を伝えると、直ぐ本陣に引き返して来た。
 「諸角豊後守様より伝令、ただいま、軍の移動は終りました」
 諸角隊に所属するむかで衆が走って来て、片膝をついて報告するとすぐ走り去る。伝令はつぎつぎとやって来て、部隊移動完了をつげた。
 「越後勢来襲、先手は、柿崎和泉守……」
 「先手の大将は斎藤下野守殿兵一千……」
 「長尾政景殿の軍兵内藤修理殿の陣に斬りこみました」
 伝令が、つぎつぎと信玄の本陣に駈けこんで来た。
 八幡原の霧はまだ深かったが、夜明けとともに少しずつ薄らいで行くようであった。
 信玄は幔幕を取り払わせた。冷気が信玄の頬を打つ。
(弟の信繁の云ったようになった。敵は裏の裏を掻いたのだ)
 信玄は、そう思った。おそらく敵のこの急速の移動を別働隊は知ってはいないだろうと思った。
 (上杉政虎め)
 信玄は上杉政虎の心の中を霧の中で見透した。
 (彼は、この一戦を霧に賭けている。霧が晴れるまでに勝負を決しようと思っているに違いない)
 甲軍は二分され、一万は妻女山に向い、ここにいるのは、海津城を守る兵二千と、八幡原の兵約八千である。敵は一万余の総力を挙げて来ている。こういう場合は、守る側よりも攻める側の方が有利であることは分りきったことである。
 (初めのうちは、損害はこちらの方が多いだろう。だが別働隊が敵の背後に現われたとき、おそらく敵は全滅の憂目に会うであろう)
 信玄は別働隊のことを考えた。この急場を知らせるには伝騎では間に合わぬ、おそらく敵は要所要所に伝騎を防ぐ措置をとっているであろう。
 「鉄砲隊を最前線に出して霧の中の敵に向って一斉射撃をするように。敵を撃つのが目的ではない、味方に危急を告げるのが目的だ」
 信玄は命令に加えて、その理由を説明した。めったにないことである。
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■上杉政虎が敵の真中を抜けて逃げる

<本文から>
 上杉政虎は、それに対しても顔色を変えなかった。
 「お館様、一刻もはやく此処を」
 直江実綱が云った。
 政虎はちらっと直江の方を見たが、黙って林机を立つと、その足で楼に登った。楼から見ると、大勢は決しようとしていた。
 「馬を曳けっ」
 と政虎は怒鳴った。
 上杉政虎は自馬にまたがった。黄糸鍼の鑓を着て、白地の絹布で頭部をかくした上杉政虎の姿が忽然として丘の上から消えた。数十騎の旗本が政虎のあとに従った。直江実綱は、政虎が本陣を引き払うと見て、その準備をしようとした。彼は周囲の者にあれこれと注意を与えた。そして、彼自らが馬に乗ろうとしてふと見ると、上杉政虎は単騎、丘の下を甲軍の陣地に向って走っていた。そのあとを旗本の数十騎が追っていった。
 上杉政虎は楼上から甲軍陣地を見て、その僅かの間隙に向って馬を乗り入れたのであった。そこは、甲軍の陣の真中であったが、今となっては、敵の真唯中を突破して善光寺に逃れるのが唯一の安全の道と見たのである。
 甲軍の将兵は、白馬に打ちまたがって、唯一騎まっしぐらに駈けて来る僧形の武人を、あっけにとられて眺めていた。敵とも味方とも判断がつかなかった。上杉政虎だとは想像もつかなかった。あまりにも堂々としており、そして馬術はたくみであった。おそらく身分のある人であろうと思った。だが、その白馬より、かなり遅れて一団となって追従して来る騎馬隊を見て甲軍は、はじめて敵だと気がついた。
 「敵だ、敵が来たぞ」
 と騒いで、槍で馬の足を払おうとしたり、馬を寄せて決戦を試みようとした。甲軍の抵抗に会うたびに、二騎、五騎、十騎とこぼれ落ちたが、残余の騎馬武者は懸命に白馬を追った。
 飯富三郎兵衛の組下に武井鉄之丞という武士がいた。武井は足軽三人をつれて武田信玄のいる本陣の守りについていた。勝ち戦になったのだから、敵と戦いたいのだが、警護をおこたるわけにはいかなかった。
 武井鉄之丞はどちらかというと融通の利かない、堅物であった。
 武井は眼前に突然現われた、白馬に乗った異形の武士を見ると、馬上で槍をかまえて叫んだ。
 「しばらく、とどまりなされ。とどまりなされ」
 だが白馬の武人は、武井の存在など無視して、その場を駈け抜けようとした。
 「しばらく」
 武井は無視されたのを怒って、槍を延ばして白馬の尻を突いた。
 自馬が一声高くいなないて、方向を変えた。そして、武田信玄のいる本陣に駈けこんだのである。
 信玄の側近の者が驚いて闖入者に斬りかかったが、馬上の僧形の武士は長刀で、払いのけて、そのまま幕外に駈け抜けて行った。
 「なに者じゃ」
 信玄は床机に掛けたままで訊いた。
 「僧形の武人がただ一騎……」
 側近が云った。
 「尻を突かれた暴れ馬でございます」
 と他の者が補足した。
 信玄はそれ以上なにごとも聞かなかった。白馬にまたがった僧形の武人がまさか上杉政虎だとは思っていなかった。それにしても、味方にあんな男がいただろうか、信玄の頭に上杉政虎のことがちらっと浮んですぐ消えた。
 越軍は逃げるのが勢いっぱいであった。各部隊と部隊との連絡は切断され、同じ部隊でも、誰がどうなっているやら分らなかった。各自が生きる道を善光寺に求めて逃げようとしていた。逃げようとするのを、逃がしはせじと甲軍は、追いせまって首を取った。
 甲軍は逃げる越軍を犀川まで追いつめた。
 上杉政虎が単騎犀川を越えて、善光寺にたどりついたときには日は西に傾いていた。
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