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<本文から> 晴信は村上勢力は一掃されたと見て、論功行賞を行った。真田幸隆にはその子昌幸を古府中に人質として出す条件で上田市の北方秋和三百五十貫の地を与えた。この他、室賀山城の小泉書見斎に所領安堵の書状を与え、内村、八木沢、福田、浦野、禰津、福井、清野寿量軒、根津などの地方豪士にそれぞれ、土地を与えているが、だいたい旧領を安堵してやったというようなものが多かった。晴信は小県の完全掌握を終ると、更に奥信濃へ向って進攻の気配を見せた。長尾景虎はこの報を聞いて、再び兵を率いて信濃に入って来た。
「おのれ長尾景虎め、こんどこそ討ち取ってやるぞ」
飯富兵部は晴信に先陣を願い出たが
「そちは塩田城主であろうぞ。城主が出陣したら、あとを誰が守る」
と云われると、二の句がつげなかった。晴信は決して無理はしなかった。
敵地を攻略すると、まずその地の治安に取りかかり、その地が名実共に武田になびいたところで、更に前進するという作戦を取った。そして、その前進基地には、彼のもっとも信頼する武将を置いて守らせた。
かつて諏訪には板垣信方を置き、いま深志城には馬場民部がいる。そして、塩田城には飯富兵部を置いたのである。 |
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