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<本文から> 勝頼はああ云っても、心では少し云い過ぎたと反省しているに違いない。そこでもう一度貞姫のことを持ち出してみたいと思った。
しかし勝頼は梅雪の顔を見ると、彼が貞姫のことを云い出す前に、
「貞姫のことでお出になられたのなら、余の気持は昨日といささかも変わってはおらないと申すより他になにもござらぬ」
と云った。
梅雪は勝頼のその言葉を武田家が穴山家に対する不信任を表明したものと聞いた。今後穴山家とは緑を切るというふうに聞いた。梅雪は心の底から発する怒りを丸飲みこみにした後で、改めて云った。
「あのことはもうあきらめている。話は城のことじや、四郎殿」
梅雪は、もし貞姫との縁談をことわられた場合のために用意していた言葉をその場に出した。武田家との縁談が成立しなかった場合は徳川家に付くつもりだった彼は、徳川家に対する土産物として、築城案を考えていたのである。これは武田家を守るための築城案ではなく、亡ぼすための築城のすすめであった。
「城? 高天神城のことか」
「それも、ございます。まず拙者の云うことをとくとお聞き下され」
梅雪はそう前置きをしてから話を出した。彼は、高天神城を持ちこたえることがいかに難しいかを説き、今大軍を発すれば、連合軍も大軍を発するだろう。勝負は時の運だから、負けるか勝つか分からない。しかし、たとえ味方が勝ったとしても、勝つ為に費した軍費と人の命は多大なものとなり、それが武田家を根本的に揺るがすことになるだろう。そこへ行くと連合軍は、たとえ負けたとしても、すぐ立ち直って、今度こそ直接甲斐の国へ攻めこんで来ること間違いない。そうしたとき、いったいどうして敵を防いだらよいか。甲斐には一つとしてこれと自慢できるような城はないではないか。そこまで話してから、梅雪は、
「高天神城を救うことより、まず城を作ることが大事です。それに直ぐ取り掛かったらよいでしょう。幸いその候補地が韮崎の片山七里岩(韮崎市中田町中傑)にございます。ここは台地になり、断崖をへだてて西側は釜無川になり、東から北は沼沢地になっております。ここに城を築いたら、幾万の敵が来ようとも、容易に落ちるものではございません」
そして梅雪は、北条氏が亡びないのは小田原城という堅城を持っているからだということを述べてから、
「真田昌幸に縄張りを命じ、用材は木曾殿に命じて調達すれば、一年もあらば立派な城ができ上がるでしょう」
と云った。
真田昌幸に縄張りを命じたらよいと梅雪が云ったのは、昌幸が連合軍との決戦を主張している中心人物であることを知っていたからだった。昌幸は勝頼がもっとも信頼している部将である。その昌幸を戦場に駆り立てず、築城へ能力を集中させることが、武田家を自滅に導く第一歩だと梅雪は考えていた。木曾義昌に木材の調達を命ぜよということは、木曾に良木があるのに目をつけ、木曾衆に材木調達の夫役を命じたら、必ずや不平不満が出るだろうし、これが原因で木曾義昌と武田勝頼との間が不仲になるだろう。その折を見て、木曾義昌を連合軍に誘いこもうと考えたのであった。もし、木曾義昌が勝頼の要求に応じ、木曾の住民もその夫役に堪えて、城ができ上がったとしても、それまでに、武田家全体が消費する軍費は多大なものとなり、おそらく武田家は経済的破綻を招くだろうと考えていた。
「昌幸に縄張りをさせるのはいいとして、木曾に用材の調達は少々酷ではないか」
勝頼は梅雪の話に乗って来た。
「木曾には槍が捨てるほどござる。切り倒して、曳いて来るだけのことです。たいしたことではありません」
梅雪は勝頼に是非そうするようにと、進言した後、坐り直して明朝の軍議にはぜひ出席したいと云った。 |
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