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          高杉晋作3

■幕府を倒して列強に勝つ実力をつける

<本文から>
  考えてみるとおかしかった。
 世子定広が、なんとかして晋作を国許へ帰したいと言えば、それを取りつぐのも周布であったし、毛利家の紋所のついた刀を、あっさり晋作にくれてやり、暴れることを黙認してゆくのも同じ周布なのだ。
 これでは周布の考えはどっちなのか? と言いたくなるが、これは双方とも真実なのだというよりほかになかった。それほど当時の情勢はめまぐるしく変転しながら、無軌道に動いている。
 問題は列強から強引に開国を迫られていながら、実際にはそれに対抗するほどの実力がないところから繰り返されてゆく変転なのだ。
 高杉晋作はとうにそれを見ぬいている。
 ここではとにかく日本人の「意気−」だけを信じてこれを奮い起させ、さて、その結果を見るよりほかに手だてはないのだ。
 そのためには、まず幕府を倒していく。どうせ幕府は、列強という蛇に睨まれてすくみあがったどうにもならない蛙なのだ。この蛙によって勝つ見込みは全くないのだから、これはこっちの手で踏みつぶす。
 踏みつぶしたあとに、また蛙しか出て来ないか、それともたくましい鳶か鷲でも現われて来て蛇に勝つかどうか…
 必ず鳶か鷲が、蛙にかわって現われるとは予期しがたいが、そこに望みをかけて暴れてみるよりほかに日本の独立を維持する方法は皆無なのだ。
 その事は、実は、周布にもよくわかっている。
 したがって、あまり暴れるなというのもその時の真実ならば、大いに暴れてみろというのも周布の真実なのだ。 
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■奇兵隊

<本文から>
  考えてみれば随分勝手なものだった。邪魔だからといって江戸からも京からもさんざん文句をいって追い立てておきながら、いよいよ敵が強いと見ると、こんどはお暇を取り消しだといってくる。
 しかし、これは私情などさしはさんでいられる問題ではなかった。
 誰に説かれずとも、この捷夷の第一戦が、民族の士気に及ぼす影響は、そのまま国の浮沈につながってゆくのがわかる。
 「−よし、行こう」
 高杉晋作は腰をあげた。
 こうして三人とともに山口の藩庁へ赴くと、毛利父子はさっそく彼を引見して「馬関総奉行手元役」というのに任命し、馬関防備の責任者にあげられた。
 晋作は、すぐさま馬関に赴いた。といって、あわてて撰鋒隊に乗り込んでゆくような彼ではなかった。
 彼はしばらくぶりに、おうのの家に立ち寄ってさっそく酒をのみだした。
 山県狂介(後の公爵有朋)、河上弥市、滝弥太郎などを引きつれていって、
「おうの、時勢がまたお前とわしを逢わしたぞ。どうじゃ、浮気をせずに、じつと我慢をしていたか」
 まだ若い河上弥市が、目を丸くしているのも構わず、しばらくぶりの痴語をなんなんと交したあとで、
 「おい山県、そこらじゅうへ高札を立ててくれ」
 どこまでが真面目で、どこまでが戯れなのかわからぬ口調で言い出した。
 「君には参謀をやって貰う。軍律はどこまでも厳しく、訓練はどこまでも猛烈にやれ」
 山県もはじめは面喰らって、大きな眼をパチパチさせていた。
 「いいか、世襲の米粒を数えているような撰鋒隊の連中などはあてにはならん。高札を立てて全く新しい井戸から新しい戦力を汲み出すのだ」
 「全く新しい井戸…とは何ごとですか」
 「だから、高札を立てるのだ。文句は君が考えたまえ。いいか、壮丁募集の高札だ。陪臣であれ、軽輩であれ、また士分以外の農、工、商いずれでもあれ、胆力と体力と気力のある者はみな集まれ、これをただちに隊員に採用する。百姓町人といえどもひとたび入隊すれば、士分同様、苗字帯刀を許し、功に従っていくらでも出世はさせる」
山県ははじめびっくりし、次にはニヤリと笑った。さっそく帳面をとり出して要領を控えだした。
「どうだ。わしの言うことの意味がわかるか」
「わかります。それが天朝の一君万民の姿でしょう」
「新しい気力と、勇気の井戸だ」
「なるほど、そこを掘ると、こんこんとして湧き出すものがあるはずです」
「そうだ。河上も滝もよく聞いておれ。君たちは隊長として、直接この井戸から汲みあげた泉の訓練にあたるのだ。なあに、すぐには敵もやって来まい。彼らは、交渉もできずに引きあげたのだ。当分は、みんなで額を寄せて連合軍組織の相談じゃ。その間に、こっちは全く新しい戦力を作っておくのだ」
 河上弥市も滝弥太郎も、はじめて大きな感動をみせてうなずいた。
 全く、晋作の頭脳はふしぎな働きを示しだしていた。どんな場合にも彼の知恵は停滞することを知らなかった。つねに流れるように新しい凰を吹かせ、新しい方向へ切りこんでゆくのである。
 いま藩士の中から兵を募ってみたところで、それは枯れ木に青葉を求めるようなものであった。
 血の気の多いものはすでにとうから家を出て東奔西走しているのだ。今ごろ家にあって、家格がどうの、体面がどうのといっている連中を、幾ら引っぱり出してみても知れた数だったし、ものの役には立ちそうにもなかった。
 そこで彼はガラリと方向を変えて、農・工・商の中へ気骨ある日本人を求めて行こうとしているのだ一
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■決起

<本文から>
−晋作は、自ら「狂−」を名乗るだけあって、その情熱の燃焼のはげしさは比類を絶したものがあった。
 彼は馬関の力士隊の屯所に伊藤俊輔を訪ねてゆくと、
 「元治元年十二月十五日、高杉晋作は義兵を挙げるぞ」
 はっ向から、そう叫んで伊藤俊輔の前に大あぐらをかいていった。
「十二月十五日……というと、今夜は十三日、あと二日か」
「そうだ。もはや一刻も猶予はならぬ」
「して、人数は?」
 伊藤俊輔は、相変らずニヤニヤと笑いながら、おだやかに訊き返した。
「何を言うのだ。貴公とおれだけで沢山だ」
「ほう、ボクもその予定に入っていますか」
「決っておろうが、貴様とおれと井上、と言いたいところだが、井上はまだ生命をとり止めたばかりなのだ。おい、力士隊はおれがそっくり借りてゆくぞ」
「ハハ・・・」
「何がおかしい。十五日に挙兵するのだ」
「たぶんそんなことに成るだろうと思っていました。よろしい。ボクも一緒に死にましょう」
 これはまたあまりあっさりと同意してくれたので、晋作の方でキョトンとしてしまった。
「そうか、賛成してくれるのか」
「しないと言ったら斬る気でしょう。しかし、もう少し同志が欲しいとは思いませんか」
「なぜだ。おれと貴公と二人だけで沢山だ。腰抜けなどいくらおっても役には立たんぞ」
「いいや、高杉晋作と伊藤俊輔ではツキ過ぎる。どちらも狂ですからな。もう一人加えましょう」
「心当たりがあるのか。誰だ」
「こっちは二人で蹶起すると決った! そう言ってもう一度長府へ行ってみて下さい。遊撃隊の総督石川小五郎(後の子爵河瀬真孝)、これは動くかもしれない」
 「そうか、あそこの参謀は高橋熊太郎……ああそれに、所郁太郎がおったな」
 「それですよ。所郁太郎は、井上の生命を救った名医、彼の勤皇はほんものです」
 「よろしい。では明朝さっそくもう一度長府行きだ。で、遊撃隊の人数はどれほどおるのか?」
 「せいぜい三十人くらい……その中に脱落者も出るかもしれませんが、とにかく遊撃隊が加わったとなれば、ほかの隊でも考えます。しつかり説得して来て下さい」
 「決った! では、さっそく硯を借りるぞ」
 「硯……何か書くのですか」
 「あたりまえだ。死にに行く身のあと片づけ…明日長府へ行って遊撃隊を説得し、明後日に旗挙げとなれば今夜よりほかに暇はない。大庭伝七に手紙を書いて、分家の長府公に、義挙暴発のやむない事情を届けておくのだ」
 そう言うと、もう晋作は、筆をとってその場にあった紙に、すらすらと何か認めだした。
(おもて)故奇兵隊開聞総督高杉晋作 則
     西海一狂生東行之墓
     遊撃将軍 谷梅之助也
(うら) 毛利家恩顧の臣高杉某の嫡子也
 「それはなんですか高杉さん」
 伊藤が呆れて訊ねると、
 「何を今ごろ・・・おれの墓に決っておろうが」
 晋作は、笑いもしないで、こんどは手紙を書きだした。
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