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          高杉晋作1

■文明の年齢は時代の大事件の要因

<本文から>
 時代を覆すような大事件というものは、たいてい、三つの大きな要因をもって引きおこされるものであった。
 その一つはすでに書いた。
 時の流れが指し示している文明の年齢である。これはよほど達眼な先覚者でなければ早期には発見し得ない。多くの場合、さまざまな老衰現象が表面に現われて来て、それから狼狽して収拾にあたるという順序になる。
 したがって巧みに収拾された場合よりも、収拾しきれずに、酸鼻をきわめた流血革命になってゆく場合の方が多いことは、世界の歴史がハッキリとこれを証明している通りある。
 日本も列強の軍艦が沿岸を侵すにいたって、果然この老衰に気づいた。
世界の文明は、もはや日本だけが安穏として鎖国し、孤立していることを許さない条件を備えて来ていたのだ。
 さて第二の要因は、こうした狼狽に直面しても、すぐさま人間の頭脳は、それに即応し得ないものだということだった。
 外国の意志は、日本を侵略して、これを自己の植民地にしようとしているのだということは分りきっていながら、まだまだ旧態から脱しきれず、必ず上層部に勢力争いがつきまとう。
 これはけして、誰が正しく、誰がより悪党で野心家だからというようなものではない。みな善意であっても争いはたいてい起っている。ある意味ではそれが人間の宿命ででもあるかのように…。
 幕府の内部にも当然それがあった。水戸の老公を中心とする、皇室と緊密な連絡をとりながら、撰夷をしようという一派と、それでは志士たちの跳梁を許して、いよいよ国内は混乱するばかりだから、幕府の手で進んで開国し、朝廷にはこれを承認させればよいとする井伊直弔の一派である。
 しかも、その両派の争いに、幕府の後嗣問題がからんで、その争いはさらに暗さを加えていった。
 前将軍徳川家定はこの年の七月六日に死んでしまっている。家定には子供がない。そこで水戸の老公一派は、家定の生前から、老公の子の慶喜を推そうとし、井伊直弼一派は紀州から慶福(将軍となって家茂と改む)を迎え入れようとして争った。
 この争いもむろん黒船の渡来と直接大きな関係を持っている。
 慶喜を推した方は、こういう非常の際ゆえ、将軍はもう立派な大人になっている、しっかりした人物でなければならぬと主張し、家茂を支持する一派は、慶喜に将軍になられて朝廷と接近され、できない撲夷など押しつけられてはそれこそ一大事、将軍は却って何もわからぬ子供がよいという考え方だった。
 この将軍継嗣問題は、井伊側の一応の勝利となって、十四代将軍は家茂と決った。
 さて第三の要因は、こうして争いが次第に激化して来ると、こんどは、その混乱した空気の中で、いずれかに便乗して手柄を立てようという人物が必ず現われて乗るということだった。
 これとて一概に野心家とか、出世主義とかいって一様に排撃はできない。その時点で、その人々は、これこそ真理と信じ込んで動く場合が多いからである。 
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■高杉晋作は一人の日本人として一人の倒幕論者として思うままに暴れてみる

<本文から>
 「よし、まあ心配はないだろう。もう少し江戸におらせてみることにする」
そう言われると晋作はまた例の反骨がムクムクと首をもたげた。周布に自分の考えを、こまかく叩きつけて度胆を抜いておきたくなったのだ。
「観念ながら、高杉晋作は、もう他人の意志で自分の行動はしばられません」
「ほう、それはまた見上げた覚悟だ。脱藩して勝手に動くか」
「いいえ、そう簡単に脱藩などするものですか」
「というと…?」
「一人の日本人として、一人の倒幕論者として思うままに暴れてみます」
「なるほど。それが、おぬしの風呂敷の中身か。誰の力で、どうして倒幕をやらかすのだ」
「毛利藩の力でやります。毛利藩が、ドシドシ夷人の艦に戦を仕掛けてゆけばよい」
 周布政之助はニヤリとした。
「そんな力はわが藩にはない。第一、列国を向うに廻して戦うだけの軍費があるまい」
「なあに、わが藩にはなくても日本中にはあります。こっちが戦を仕掛けると日本中がびっくりして一つになる。佐幕も勤皇もその時だけは吹っ飛ぶでしょう」
「ほう、どうしてそれが倒幕になるのだ」
 おだやかに訊き返されて晋作の昨は燐光を放って言った。
「そうなれば幕府も疑獄などといい気になっている暇はない。列強の応対に眼をまわして、いやでも公武合体ですよ」
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■日本人には信頼し得るある種の性根を一つに結束する

<本文から>
 松陰は彼に、理想を奉じる者の覚悟を訓えてくれた。どのような迫害にも動揺することなく、その志に殉ずることが却って志を生かすゆえんであることを訓えてくれた。
 そして、戚臨丸の出航は、立場のいかんを問わず、日本人には信頼し得るある種の性根が存するということだった。
 この性根を一つに結束する方策さえ見出し得たら、松陰の確信するといった「日本国不滅」の姿は必ず顕現して来るに違いない。
 いうなれば、その方策が、これからの日本の政治の大切な背骨でなければならないということだった。
 第三には、新しく燃えだした若い日本の勢力の前に、渾身の力で立ちふさがった井伊直弼が、暗殺されたという、今度のできごとである。このことは、まだ晋作の理性だけでは割り切れない、一つのふしぎな「宿命−」にさえ思えるのだ。
 おそらくこの事件の中から、日本中の志士たちが掴みとる教訓と感慨は無数であろう。が、この中から小さな快をむさぼるだけであってはならない。
 (歴史の歯車は廻っているのだ……)
 誰がどのようにしてその歯車を廻すのか、その大きな天地の秘密を、彼は彼なりに、しっかりと掴まなければ、この動乱の世を歩けない。そのあせりが、彼を慎ましい雌伏からはげしく揺り起してしまったのだ。
 そこへ尾寺新之允がやって来た。彼はまだ桜田門外の変を耳にしてはいなかった。
「高杉さん、いよいよ丙辰丸の艦長が決りました。ええ、船はすっかりでき上がって・・・松島剛蔵先生が艦長です。間もなく僕らにも乗艦の命令が出ますよ」
 晋作は、それにもすぐには答えなかった。
 木造ながら新しい洋式の丙辰丸、それに乗ってまず江戸へ廻船できるということは、彼にとっては新しい第二の人生への出発の意味を持つ一大快挙なのだといっていた。その彼が、井伊直弼の暗殺を聞いた瞬間から何かに身をかわされたような気がして、昂奮の焦点が移動してしまっている。
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