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<本文から>
志、を持てと、松陰は言う。志を持たざる詩文は浮薄に過ぎない。
松陰の評言は、晋作を痛いほど刺激した。
松陰は、さらに言葉を続けた。
「きみは才人である。その才は常人を超えて天才的と言えるだろう。きみは才に任せ、感覚的に物事の本質を掴もうとする。だから学問的でない。学問というものは積み重ねのものであり、理を構築して物事の本質を確めるものだ。だがきみは学問を軽視する。学問は感覚の飛躍をさまたげる、とさえ思っている。
しかし、感覚と学問は相反するものではない。感覚は学問的基盤に立って飛躍させなければならない。学問的な裏付けのない感覚の飛躍は、妄想でしかない。感覚は理によって磨かなければならない。きみはそのための学問を、理論を、懸命にまなぶ必要がある。
きみの詩文が久坂に劣るのは、その点である。久坂は確乎たる志を以って、理を磨き、詩を昂揚させている。きみの詩文には目的精神がなく、理の磨きが欠けている。
もし、きみが確たる目的意識を持ち、理の裏付けを得れば、きみの詩文は燦然たる輝きを持つだろう。いや、単に詩文という言葉のつながりの輝きにとどまらず、きみ自身の人生が光り輝く。
きみはそれに値する天分を持っている」
松陰の教育者としての資質は、個々の人間の本質と天分を的確に言い当て、巧みに貯めそやして、その素質を十二分に伸ばすことに優れている点であった。
−この人は、神人か。
後年、晋作はそう思ったと述懐している。
晋作は、日の眩むような昂奮を覚えた。人間は平生、主観だけで生きている。だから周辺の状況は把握できても、自分というものの存在感が稀薄である。自分が状況の中で、どれほどの存在価値を持っているか、どれほどの可能性を持っているかを掴み難い。
それが、的確に解析され、明確に知ることが出来、さらに将来への針路が示された時、人は誰しも昂奮するだろう。自分の人間像と輝かしい未来に眼が開かれた昂奮に優るものはない。
松陰は、傑出した教育者というより、並外れた煽動者と言うべきかも知れなかった。 |
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