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          陳舜臣−諸葛孔明(下)

■孔明は漢の復興より天下統一を願う

<本文から> −周瑜がいなくても、劉備がいるではないか。兵をあわせて西征すればよい。
 東呉ではそんな意見が強かった。劉備を東呉の友軍と考えていたのである。劉備は孫権の妹婿になるのだ。
 劉備陣営にも、孫権の誘いに乗ってもよいではないか、という意見があった。いくら援軍といっても、萄を取ったとき、分け前があるはずなのだ。
 (さもしいことを考えるものではない。われらは分け前ではなく、天下万民のために天下が統一されることが望みなのに。…‥)
 孔明は腹立たしくおもったが、口に出さなかった。劉備が孫権の申し出に、いささか心をうごかされているのをかんじて、
 − 表面を飾るだけではいけません。
 という意味の手紙を送ったことがある。
 蜀の劉窄も、漢の魯王の末裔と称している。劉備もおなじ漢の中山王の子孫として、漢の復興をめざしている。それなのに、萄を攻めるのは、同族を攻めることになる。孫権の一支軍として萄を攻めるなら、
 − 友軍の関係があるので、東呉に従軍しなければならなかった。……
 という口実ができるわけだ。
 孔明にいわせると、そんなことはただの「飾り」にすぎない。本質をごま化すことにほかならない。
 漢をないがしろにする曹操を討つ。
 劉備はその大目的をめざすべきである。同族がどうだこうだというのは、大目的のまえには小さいことではないか。
 孔明は自分のめざすところは、ほぼおなじ方向にあるが、劉備のそれといささか異なる点もあるという気がしていた。
 漢の復興、ということを、孔明はそれほどはげしく望んでいるわけではない。それよりも、天下統一である。万民の平和のためであれば、天下を統一するのが、漢系でなくてもよいとおもっている。ただ、それが曹操であってはならないのだ。
 徐州での大虐殺のあとは、少年時代に目撃したが、いまだに彼の記憶から薄れていない。そのような獣行を許した曹操は、天下統一の資格をもたない。−これが孔明の信念であった。もし自分にその威が備わっているのであれば、自分が天下のあるじになってもよいとおもっている。
 (劉公にはその威がある)
 孔明が劉備に仕える気になったのは、そのためにほかならない。威というのは、ただ漢の後裔というだけのことではない。 
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■法正に問題があっても人材を失うことを恐れた孔明

<本文から>
 劉備はあまり自分の意思を通す人ではなく、たいてい誰かのことばに従うので、法正がそうおもったのも、当たっていないことはなかった。
 − あれはいけませんよ。要職につけると、危険です。人間がよろしくありません。劉嘩に法正のことを、そう言いつけたのは、けっして一人や二人ではなかったのだ。
 劉備を迎えて益州を献じた功労者は、法正と張松であり、張松が斬られたいま、法正が最高功労者である。だから蜀郡太守の要職につくことができた。
 それはよいのだが、要職についた法正は、報復をはじめたのである。
 − がいさいの怨みも報復せざるは無し。
 と、『三国志』法正伝にみえる。ちょっとにらまれたほどの僅かな怨みでも、報復したというのである。人事報復だけではなく、じっさいに何人かを殺している。ある人がたまりかねて、法正を抑えることを、孔明に進言した。
 「われらが入蜀する前のことに、われらは口出ししないほうがよかろう」
 孔明はそう答えた。
 「法正の功績をおもえば、目をつぶらねばならない。わが主君は公安にあっても、北に曹操の強きをおそれ、東に孫権の圧迫に耐えていた。そればかりか、身近にあっても、孫夫人の言動にもびくびくしておられたのだ。いまこのように、のびのびできるのも、彼のおかげだ。それを思えば……」
 とも言った。
 孔明のこの法正弁護は、じつは口実であった。ほんとうは、彼は法正の判断力を高く勝っていたのである。
 劉嘩はだめで、どうしても劉備を益州に迎えなければならない、という判断もまちがいはなかった。それを劉嘩に説いた弁論もみごとであった。
 (これからの蜀に、この人物はなくてはならない存在だ)
 人格的にいささか問題はあっても、それによって、有為の人材を失うことを、孔明はおそれた。とはいえ、法正の「才能」を強調しすぎると、ほかの幹部が、
 − おれの才能は孝直(法正のあざな)に劣るのか。
 と、ひがむおそれもあった。孔明はこのように、ことば遣いひとつにも、繊細に気を使わねばならなかった。
 政権が交替したが、それほどの混乱がなかったのは、孔明が法律を「厳」にしたのと、このようなキメの細かい政治姿勢をとったからである。
 さらにいえば、益州の住民にとって、劉嘩政権がなくてはならない存在でなかったという事情もある。政権の基礎が脆弱であったために、その崩壊はたいした衝撃をもたらさなかったのだ。
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■出自の異なる蜀の和睦に尽力した孔明

<本文から>
 一体、和睦。
 孔明はそれをめざした。蜀の政権は、出自の異なるさまざまな人によって構成されている。古くからの劉備の側近、荊州において服属した人たち、蜀の土着の人士、五斗米道の信者、馬超のような外来の軍閥、さらには各地の少数民族の幹部たちがいる。
 彼らが「一体」となり、「和睦」しなければ、この政権はたちまち瓦解するであろう。建安二十二年(二一七)からその翌年にかけて、蜀は漢中に兵を進め、曹操陣営の諸将と戦い、二十四年、ついに漢中を領有した。
 諸蔦孔明は軍師将軍の職にあったが、漠中作戦には従軍しなかった。劉備がみずから兵を率いて外に出るときは、孔明は成都にいて内を固めなければならないのである。
 蜀の人士に一体感をもたせ、和睦させるのは、けっして容易なことではなかった。孔明は有力者を訪ね、胸襟をひらいて語り合った。彼とむかい合っていると、しぜんに不平や不満が口をついて出てくる。
 「いままでそれに気づきませんでした。お恥ずかしいことです。さっそく、調査し、研究することにします」
 孔明は謙虚に人びとの声に耳を傾け、解決すべきことや、改善すべきことについては、期限を設けて約束したのである。
 − 軍師将軍には私心がない。
 孔明としばらくことばをまじえると、誰もがそう信じた。そして、孔明のことばを、うけいれてしまう。
 けっして安請合いしない。孔明はできないことを、なんとかしよう、と言うことはなかった。
 「残念ながら、いまのところ、これは不可能です」
 と、はっきり言った。
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■悪しき勢力による統一を防ぐ手段としての「天下三分の計」

<本文から>
 (関羽を殺されたのでは、ただではすむまい)
 孔明はそう思い、ただできるだけひきのばそうとした。劉備と関羽との交わりを、熟知している孔明は、復讐戦をあきらめさせるのは不可能だとかんじていた。
 − 民を安んずる。
 それが孔明の厭いであり、目標であった。どんなことも、この目標に照らして、評価するのが孔明の習性であった。
 人びとが安楽に暮せるには、平和でなければならない。
 平和の前提は統一である。この国が分裂しているかぎり、各地の実力者はたがいに相争うであろう。統一は望ましいが、悪しき勢力によって統一されてはならない。孔明の目に悪しき勢力として映るのは、魏の曹一族であった。少年のころに目撃した、徐州の大虐殺のあとを、彼はまだあざやかにおぼえている。曹操は死んだが、その子管玉は漢の皇帝を追放して、みずから帝位に即いた。
 −簒奪。
 である。だが、纂奪についての孔明の考え方は、当時の人たちのそれとは、いささかちがっていた。
 民を安んずることが、究極の目標であってみれば、その目標に一歩でも近づくのに役立つなら、慕奪も是認できる。しかし、このたびの纂奪は、民にたいする憐れみの心をもたぬ老によっておこなわれた。だから、孔明はそれを認めない。
 悪しき勢力による統一を防ぐ手段として、孔明が考えたのが「天下三分の計」である。
 蜀を得て、荊州とあわせて、ようやくその計が成ったかにみえた。
 ところが、関羽が契城戦に敗北したため、荊州は孫権に奪われてしまった。
 天下を三つに分けて、ひとまず安定させるのが三分の計だが、力の均衡からいえば、蜀が最も弱くなっている。荊州を奪回しなければ、ほんとうの三分の計にならない。
 その意味で、東呉を攻めることに、孔明は反対ではない。しかし、勝算がなければならない。趨雲たち軍の首脳は、現状では自信がなさそうであった。
 蜀の地は曇天が多い。雲がたえず蜀の空に重なり合っている。「蜀犬、日に吠ゆ」とは、晴天がむしろ異常なので、蜀の犬は太陽が照りかがやくと、吠え立てるということなのだ。どんよりしているが、気候はおだやかである。物産も豊富で、古来、
 − 天府。
 と、たたえられてきた。
 「南のほうが、もっとよろしいと、綿は申しております。きびしい暑さも、寒さもない、常春の地でございますそうで」
 孔明の妻はそう言った。
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■泣いて馬謖を斬る

<本文から>
 孔明は馬謖の機智才略を評価して、全軍の指揮をゆだねたのである。そして、馬謖は自分の才に溺れてしまった。
 馬謖起用には反対もあったが、孔明はあえて強行した。信板を裏切られたのである。
 馬讃は軍の獄につながれ、孔明はその処分をきめなければならない。
 「斬」
 という字を、孔明は判決文に書いた。その字が、たちまちにじんだ。孔明の涙が滴りおちたのである。
 孔明は馬謖を、弟のように愛した。実弟の均よりは馬謖のほうに目をかけたといってよい。均は実直なだけが取柄で、与えられた仕事はきちんとやるが、それ以上のことはしない。しないというよりはできなかった。指示がなければ、なにもできない。弟の均のその性格に、孔明はいささか不満であった。指し示さなくても、自分で工夫して、言われたこと以上のことをしようとする馬謖の意欲をみて、
 (均にこの半分の意欲でもあれば)
 と、ひそかにおもったものだった。
 衝亭の役で、かりに諸蔦均を馬謖のかわりに起用したとすればどうなったであろうか?すくなくとも山にのぼらず、したがって惨敗はなかったにちがいない。−
 衝亭での一敗で、蜀漢はせっかく勢力圏に収めた洞水上流の三郡を、再び魏貌に奪回された。孔明の「西に殖産して、東を討つ」策は、はかなく消えてしまった。
 馬謖の罪は重い。独断専行だけではない。命令違反である。戦闘中の指揮官の命令違反はあるていど許されるが、衝亭の役の場合は、戦闘以前の作戟組み立ての段階での命
 令違反なのだ。これは許容限度をはるかにこえる。
 「斬」以外はありえない。
 孔明が馬謖を愛していることは、誰もが知っていた。孔明の心をおもいやって、
 −我が蜀は、ただでさえ人材がすくない。才智の馬課を失うのは惜しいかぎりです。
 と、助命を嘆願する者がいたが、
 「我の心は秤のようである」と、孔明は答えた。−「人をみて軽重の差をつけるようなことはできない」
 馬謖は処刑の直前、孔明あてに手紙をかいた。−
 ……むかし、解は黄河の治水に失敗して殺されました。そして、その子の高が、治水に成功し、舜から位を譲られています。私はいまその故事を思い出しております。どうか平素のご厚誼を、遺族にお示しくだされば、私は死んでも恨む(残念におもう)ことはございません。……
 成都から蒋碗がやってきて、
 「昔、楚が城模で敗れた得臣を殺しましたが、それをきいて、敵の晋の文公が喜んだということが『春秋左氏伝』にみえます。天下はまだ平定されないのに、智計の士を致すのは、惜しいことではありませんか」
 と、言った。
 それが成都の輿論であったのだろう。刑はすでに執行されたあとだったが、孔明は涙を流して、
 「『左伝』を引用されるのでしたら、私は『孫子』を引用いたしましょう。孫武がよく天下を制したのは、法を用いることが明らかだったからではありませんか」
 と、答えた。
 『孫子』姶計篇にいう。−春秋の呉王が孫武に命じ、官女を二隊に分けて彼の兵法を実地に演習させたところ、官女たちはげらげら笑って命令をきかない。そこで孫武は法によって呉王の寵姫二人を斬ったところ、その後、官女軍は粛然として、彼の指揮に従った。……
 「四海分裂し、戦いはこれからというのに、法を廃するようなことがあれば、どうして逆賊を討つことがかないましょうか」
 涙を拭いもせず孔明はそうつけ加えた。
 馬謖のほかに、軍幹部の張休と李盛とが処刑され、黄襲は兵権を解かれた。長史の向朗は、軍情を報告しなかった罪によって、解任された。
 陽動作戦の軍団とはいえ、趨雲も鎮東将軍から鎮軍将軍に降格の処分を受けている。
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■孔明が死する直前の自身への問いかけ

<本文から>
 それは漢中を出発するときから考えていたことである。五丈原から東進して、魏都へ攻めこむ計画以上に、撤退の段取りは、孔明の脳裡に濃厚にえがかれていた。細部にいたるまで、彼はそらんじていた。
 生命の火が燃え尽きようとしているときでも、引かれた線は、いささかも薄れはしなかったのである。
 臨終に招かれた幹部のなかには、魂延は含まれていなかった。魂延は極端な主戦論者であった。孔明の「退軍節度」(撤退計画)は、魂延を「断後」(殿のこと)とするが、じっさいの「断後」は姜維にまかせることを骨子としていた。
 魂延は撤退を承知しないかもしれない。殿軍の役を放棄して、魏軍に突入するおそれがある。本隊の撤退のための時間稼ぎが、殿軍の任務であり、魂延にそれを期待できないかもしれないので、妻維に意を含めたのだった。
 「仲達は追うまいが」孔明はかすかな声で言った。−「追わねばならぬように……させてはならぬ」
 楊儀は孔明の耳もとにロをよせて、
 「させた者は?」
 と、訊いた。
 「斬る」
 これまでの弱々しい声にくらべて、決然としたことばであった。
 混濁しかける意識のなかで、諸蔦孔明はもうー人の自分と問答をはじめた。……
 −おまえが玄徳(劉備)についたのは、曹操に天下を取らせたくないためであったのだろう。天下三分の計というが、徐州の庶民を、草を刈るように殺した曹操が憎かったからではないか?
 −そのとおりだが、それだけではない。人間の心には、幾筋もの糸がぶらさがっている。曹操憎しもその一本だ。
 −曹操が死んだあと、おまえにはもう仮想の敵はいなくなったのではないか。なにをそんなに心を労したのか?
 −そんなに強くなかった糸が、心のなかで太くなった。そのために死力を尽した。
 −それで報われたのか?
 −効果のことか? それならあった。天下三分の計。……蜀漢を強盛ならしめ、魏や東呉を併せて、天下を統一するのは、私の素志ではない。天下統一は万民の不幸になるかもしれない。
 −なぜだ?
 −秦の始皇帝の下で、天下万民はしあわせであったか?
 −始皇帝はとくべつだ。例外ではないか。
 −そうではない。曹操が第二の始皇帝になったかもしれない。
 −では、天下三分を長くつづかせるのか?
 −私は浮屠の徒のように、永劫のことは考えない。まず百年ほどのことしか、念頭にない。百年、天下、三分されておればよい。そのためには、魏の力を弱めなければならないのだ。
 −天下三分は、天下に戦乱が絶えないことではないか?
 −三者は相争うだろうが、それは戦争だけではない。人びとをしあわせにする競争もおこなわれる。富強の競争、人心を得る競争、学問の競争。……それに負けまいと競い合う時代……それがつづくのが人びとのしあわせだとおもった。
 −悔いはないか?
 −それはない。……ま、いちど司馬仲連と話し合いたかった。彼も魏の強盛を望まないだろう。十万の蜀漢軍を、彼は無傷で蜀に返したいはずだ。蜀漢がほろびて、魏帝が強くなれば、大将軍司馬仲達が危うい。……追撃激減の勅命を、彼は守らないだろう。
 守らない口実を彼に与えなければならぬ。……
 「なにか……おっしゃいましたか?」
 孔明の唇が、かすかにうごくのをみて、楊儀は耳をよせて、そう訊いた。
 「簾を…‥」
 孔明はわずかに顎をうごかした。
 秋とはいえ、洞南平原には、まだ残暑の気が消えていない。
 簾をあげよ、ということであろう。−楊儀が小声でそう言うと、姜維が簾をしずかにひきあげた。部屋のなかがあかるくなった。諸葛孔明は、窓のほうに顔をむけるようなうごきをみせた。
    ひるがえ
 「旗を、反せ。……鼓を、鳴らせ。……」
 それが最期のことばであった。
 赤い星が孔明の営に投じたというのは、その瞬間のことであろうか。臨終の場所は、五丈原の郭氏鳩であった。
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