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<本文から> 腕ずくでも連れて行く。
そう言われては、いくら勝気な鈴でも、残留をあきらめるほかなかった。
股慄をこらえて、孔明少年は、ゆっくりと一座を見まわした。両足を投げ出しているのは窄融だけで、あとの幹部はあぐらをかいたり、正坐したりしている。あぐらは「胡坐」-異域の人の坐り方といわれて、後漠のころ、とくに軍人のあいだに一般的になっていた。
「さぁ、講義せい!」
?融は立ちあがり、床につきさした剣を抜き、その柄を振りしめた。
孔明は唾をのみこんでから、口をひらいた。さすがに唇がふるえ、それをみた窄融の片頻が歪んだ。
「私たちがこの目で見ている、もろもろのものは、じつは実体のあるものではありません。すべては空しいのです。……」
「待て!」?融は剣を頭上にかざした。-「わしの目にはおまえが見える。十五にしては大きなからだだ。だが、それも空しいものじゃな? 実体がないものじゃな?さあ、どうだ?」
「はい」
孔明は大きくうなずいた。
「それでは、そのとおりにしてやろう。おまえという実体はない。この世に生きていなかった。空しいしかばねに戻してやる」
窄融は一歩まえに踏みだした。
孔明は目をとじた。そして、空を切る剣のうなりを待っていた。だが、それはきこえなかった。ふしぎに股傑はやんでいる。彼は目をひらいた。
目のまえに紅潮した窄融の顔があった。両眼が燃えるように赤い。口を裂けんばかりにひらいていた。そして、まったくうごかない。異様な静止であった。両眼はみひらいているが、それは焦点を結んでいない。なにも見ていないのである。
やがて、右の唇の端から血が流れだした。その血が顎から喉もとを伝わり、襟のなかに吸いこまれたとき、竿融のからだは、つんのめって前に倒れた。孔明の足もとを、窄融の髪が払った。背中に手斧がつき立っている。
「おびえるでない。これは、われわれ一同がやったことだ。全員がきめて、この男を殺すことにしたのだ。われわれは諸葛玄どのに身を寄せたい。取り次いでいただこう」
小柄な、痩せた、白髪の老人が、よろめくように前に出て、孔明にそう言った。その場にいた窄融軍の幹部たちは、みな立ちあがって、孔明をみつめていたのである。 |
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