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          海音寺潮五郎−孫子(下)

■ホウ涓と孫ビン

<本文から>
 斉軍が黄河を渡らず、その右岸をさかのぼって行ったという報告は、数日の後、邯鄲を包囲しているホウ涓にとどいた。
 彼は斉が趙の乞いを入れて援軍をおくることを承諾し、その将軍に田忌を任じ、軍師として田忌をつけたことを知っていた。
 田忌とは一度戦ったことがあるから、およそどの程度の武将であるかわかっている。少しもこわくなかった。斉の兵も恐ろしくない。豊富な環境に育ったためであろう、体格も大きく、血色もよく、体力は大いにあったが、精神が弱く、ねばりがない。兵の素質は体力より精神に重きをおくべきものだが、その点において斉兵は大いに弱点がある。こんな兵は恐怖させれば無力になるのである。
 おそろしいのは孫ビンであった。彼は?の天才を知っている。少年の頃からその才には驚嘆させられてばかりいる。その日は未然を洞察してあやまりのないこと神のようである。その心は奇手・奇策を案出すること春の蚕の糸を吐くようだ。連々としてつきるところを知らない。
 はじめの間は対抗する気持があった。
「おれに指導されて、兵法に志したのではないか。読書も研究もおれほど精を出していない。人の生れつきの才能は似たりよったりのものだ。何ほどのことがあるものか」
 と、張り合ったが、やがてその張りはなくなった。
 「天授である。おれは遠くおよばない」
 と、あきらめた。
 自分にとって幸いなことには、?には名利の念がまるでなく、処士として世をおわることを念としていたし、いろいろ世話になる必要もあったので、最も親しい交りを結んでいたのだが、それでも、この男が世に立って働く気をおこしたら、自分なぞ霞んでしまって、とうてい一流の将軍をもって世に立てはしないと考える時もあった。
 われながら悪辣だと気がとがめながら、陥れたのも、このためであった。魏につかえたいなどと言い出したので、それではやがて地位をうばわれてしまう、?にその気はなくても、しばらく経つうちには、親の上下の人々が?の才能を認めるにちがいない、認めればいやでも自分の地位を保つことは出来なくなろうと思案したからであった。
 「そのおそるべき孫ビンと、対決しなければならないのだ」
 と思った時、ホウ涓は戦慄した。
 ただ彼が?にまさっていると自負していることは、経験であった。勝はこれまで一度も実戦の経験がない。呉起将軍に従学している頃数回従軍したことがあるが、それは見学であった。実戦すべき兵としても、将校としても、また将軍としても、実戦に臨んだことはない。戦場では、人間の心理は平生の時と大いに違う。智者といわれている人でも、半分も知恵が出ない。初心の間はとりわけそうだ。度々経験をつんで、いわゆる戦場なれして、はじめて平生の知恵がそのままに出るようになるのだ。この点、自分は十分の経験を積んでいる。
 「たとえ孫ビンに十の才があり、おれに七の才しかないとしても、膿がその半分五の才しか出ないのにたいして、おれは七の才をもってあたることが出来る。その上、兵の素質はこちらが段ちがいによい。十分に勝てるはずである」
 と、計算を立てた。
 「算多きものは勝つ″と、やつの先祖も言っている」
 と、不安をねじ伏せた。
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■ホウ涓は自らの富貴栄達のために仕官している官僚将軍にすぎない

<本文から>
 そのうち、斉の本営のある方角にあたって、城声が上った。
 ホウ涓は暗の底を凝視した。味方の諸軍が襲撃にかかったのだと思ったのだが、それにしては火の手の上らないのがいぶかしかった。賊声に先立って火が放たれなければならないはずである。
 (はてな?どうしたのか?)
 といぶかった時、突如として山麓の自分の本陣にすさまじい賊声がおこつたかと思うと、火光が閃き、見る間に燃えひろがった。巨大な筆の、あらいタッチで即き上げるように、朱金の炎とひんぶんたる火の粉が閣の大空に吹き上げたのだ。その光の中で、戦闘が行われているのがありありと見えた。
 「しまった!」
 覚えず口走った。
 敵がこちらの裏をかいて、おし寄せたに違いないのである。
 勝敗の数は、味方が段ちがいにおとる。先ず不意をおそわれたことだ。味方があかりわたっている火光の中にいるのに、敵は光の輪の外にいて、ねらいうちに矢を射送っていることだ。兵数が違いすぎる。暗い中からつぶてを打つように飛び出して、しかもあとからあとからと湧き出す敵の人数は無限なようでさえある。それにたいして、味方はわずかに五千だ。ほんの一つまみにしか見えない。
 しかも、不意を打たれて狼狽しきっており、はかばかしい防戦が出来ない。居すくんで、手をつかねて討取られるものがあり、逃げるだけに懸命なように見えるものがあり、全力をつくして戦っている者はごくわずかしかないようである。
 「しまった、しまった、しまった!……」
 瀧洞は胸を打って痛嘆した。
 従兵らもどうてんして、おどろきさわぎ、おびえまどうばかりであった。
 こんな際、英雄的気晩のある者、あるいは忠誠の念の厚い者と、官僚的人物との違いが最もあざやかに露呈する。前二者は自分のことなぞは考えない。もっぱら公けのために対策を考えて、死すべきならば必死を分として敵陣に突入するであろうし、後図を策すべきならば逃げもするであろうが、官僚的人間はそれによって自分の運命がどう変化するかが何よりの心配となり、責任のがれの口実だけをさがすのだ。
 ホウ涓は自らの富貴栄達のために仕官している官僚将軍にすぎない。親王やその重臣らに、このみじめな敗戦がどう受けとられるか、それによって自分の運命がどうなるかが、先ず胸にふさがるなやみであった。この敗戦責任を出来るだけ軽くするために、その人々をうなずかせるに足る言訳をつくらなければならないと思った。
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■孫ビンによってホウ涓は討たれる

<本文から>
 ホウ涓はやっと斉軍の踪跡をつきとめ、これを追尾したが、行くに従って竃の数が減じているのを知って、太子申を呼んで、示した。
 「ごらん遊ばせ、斉軍の怯を。竃の数が毎日こんなに減少しているではございませんか。敵地に入ること三日にして、士卒は臆病風に吹かれ、過半が逃亡したのです。急追しで、一気に踏みつぶしてしまうこと、実のうちです」
 と言い、歩兵を捨て、騎兵だけを軽装ざせ、急ぎに急いで急追にかかった。
 ?はこんどこそ瀧洞を討取る決心をしている。常に忍びの者を周囲にばらまいて魏軍の様子をくわしくしらべながら、悠々と軍を進めていたが、魏軍が軽鋭の騎兵だけで急迫にかかったことを知ると、田忌に言った。
 「敵は罠にかかったようです。決戦は明日の暮方、馬陵においていたしましょう」
 といって、なお進んで馬陵に行った。貌軍の行軍速度から計算すると、ちょうどその頃に馬陵に到着することになるのである。
 馬陵は山沿いの岨道で、道はばがせまく、足場が悪く、近くには木立の繁った険附が多く、兵を伏せる都合のよい地勢だ。
 ?は牽から手輿に乗りうつって地勢を見てまわっていたが、やがてうなずくと、路傍の大木の幹を削らせ、筆太に、
 「ホウ涓死干此樹之下一(ホウ涓、この樹の下に死せん)」
 の八文字を大書させ、優秀な射手一万人をえらんで、それぞれに琴(大弓、一時に数本の矢を放つことの出来る台弓。矢のかわりに石を飛ばせるのもある)を持たせて、道の左右に潜伏させ、
 「今日の日暮、この樹の下に松明が上るはずであるから、それを見たら、一斉に矢をはなてよ」
 と言いふくめた。
 黄昏の頃、貌の騎兵軍は馬陵に到着した。兵の中に、路傍の大木が削り白げられて、何やら文字ようのものが書かれているのに気づく者があって、ホウ涓に報告した。
 ホウ涓は馬をおり、松明に火を点じさせ、立ちよって、火をかかげてこれを熟視した。読みおわって樗然とすると同時であった。道の左右から万琴が一斉にはなたれた。
 あっという間もない。ホウ涓は全身に針鼠のように矢を射立てられて、たおれた。
 同時に、ときの声がおこり、斉軍がおこり立った。
 さすがの精鋭部隊も乱れ立った。戦う気力はない。ひたすらに逃げようとあせった。斉軍はさらに矢を乱射して、魏軍は微減されてしまった。
 この乱軍の中に、ホウ涓は、
 「あの足なしめに、とうとうしてやられてしまったわ!」
 と、つぶやいて、自ら頸動脈をはねて死んだ。
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