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          海音寺潮五郎−青雲の潮(3)

■漂流の末に助けられた

<本文から> 「ドン・セバスチャン、ドン・シモン、知っていますか」
 「知っています。ドン・セバスチャンは大友屋形の次男大友親家殿、ドン・シモンは屋形の前夫人の甥田原親虎殿です」
 「ソノ通り、ソノ通り」
 ハテレンはおそろしく満足げであった。
 「ソンナラ、アナタハ誰デス。身分ハサムライデスカ」
 「さむらいです。今は大友家を去っていますが、以前は大友家につかえていました。名は大友家につかえている頃は杉松寿丸といっていました。今は成人したので珠之助とかえていますが。拙者が福音 にふれて帰信したのは、松寿丸といっていた時代でありました」
 珠之助は、バテレンがくりひろげている帳面は、日本語の会話書であるだけでなく、日本のキリシタの名簿でもあるらしいと推察したので、こう答えたのであった。
 「スギ、ショウ、ジュ、マル……」
 といいながら、指先で帳面の一部分をたどっていた.ハテレンは、
 「アア、アリマシタ、アリマシター・」
  とさけんだ。
  バテレンは三人を自分の船室に連れて行って、くわしい話を聞いた。
 珠之助は一切を告白することは苦しかったが、仮にも教父にいつわりを言うことは出来ない。周防における戦争に敗れたことから、大津島のキリシタンらに救われたこと、大友家を立去ったこと、貿易のために中国に来て、なかまの者にはぐれたこと、鳳児と結婚したこと、鳳児の父を中国官憲に売りわたしてその財産を横領した王激のこと、その財産をとり返そうとして色々とやったこと、王激が約束をやぶって官憲に密告したために小舟にのがれる途中、風波に遭って子分を死なせ、漂流している時、助けてもらったこと、全部ありのままに打ちあけた。
 珠之助としては、海賊のなかまに入り、その首領として海賊をはたらいたことを最も恥かしく思い、それが最も責められるであろうと思っていたのに、意外にもバテレンはそれについては、大して責めなかった。
 「人ニハ、イロイロナコトガアルモノデス。官ノ名ヲイツワリトナエテ、人ノモノヲウバウノハ、ヨグナイコトデス。デキルダケ早ク、正シイナリワイニカエルコトデス。ワカリマシタカ。主ニオユルシヲネガイマショ」
 といって、一緒に祈ってくれて、それですんだ。
 不思議であった。
 しかし、これは珠之助が知らないから不思議に思ったにすぎない。この少し前の時代から相当長い間、西洋諸国でも海賊時代になるのだ。一々海賊をとがめ立てしていては、西洋諸国は王家といえどもまぬかれることは出来ないのである。
 ハテレンが最も重大視したのは、珠之助と鳳児の結婚が詐術の上になり立っていることであった。
 「ダマサレテ、結婚シタノデスッテ? ソレコマル。大ヘン、ヨグナイ」
 と言った。
 鳳児はすっかりしょげ返って、小さくなって、消え入るような声で言った。
 「でも、あたくし、この人が好きだったのでございます。死にたいほど好きだったのでございます」
 「好キ? アナタガ好キデモ、ソレダケデ、主ハユルシテ下サラヌ。男一女トガ主二祝福サレテ夫婦ニナルニハ、双方ガ愛シティナケレバナラナイノデス」
 とバテレンはきめつけた。
 珠之助は鳳児がかわいそうになった。
▲UP

■周天江

<本文から> 皆狐につつまれたような気持であった。
 周天江が笑いながら、珠之助に言った。
 「おわかりかな」
 「わかりません。弾丸が反れてあたったので、あわてたのかとも考えているのですが、そうでもなさそうな気もしています」
 「そんなことではない。あれは絶って撃ったのでごわしょう」
  珠之助はおどろいた。
 「絶って?どうしてでしょう」
 周天江は低く笑った。
 「あんたは身分高い家に生まれ、よい育ちをされたお人だ。お年も若い。人間というものがどれくらい悪くなれるものか、卑しくなれるものか、ご存じはなかでしょう。もちろん、皆が皆ではなか。どんな目にあっても、決して卑しくなれん人間もいる。決して悪くなれん人間もいる。しかし、中にはさまでのことはなかのに、最も姦悪になり、最も卑しくなる者がいる。人間の屑じゃと思えばよかのじゃが、その層はそう少ないものではない。さしずめ、王敬などがそれですわい。やつは落第した秀才でごわすから、相当学問した男でごわすが、その学問は人間を磨くには何の役にも立たず、姦智を磨くだけに役立ったのでごわす。学問のしぞこない、学問の悪用といってようごわしょうな」
 なげきいきどおる調子でここまで言ったが、
 「ほい! かんじんな話からそれてしまいましたわい」
 と笑って、
 「王激というやつは、今も申す通り、天性の悪党で、強欲非道のやつでごわすから、子分共にたいしても、むごかったに違いありません。それで、王激がこの危難に陥ったので、これ幸いと鉄砲でうち取ったのじゃろうと、わしは睨んどります。もちろん、単に意趣ばらしのつもりではない。王激の遺産を狙っているのでごわしょう」
 なるほど、そうか、とまわりにいる人々は皆なっとくしたようであった。
 「きっとそうでしょう。王激にふさわしい最期といえましょうね」
 と、林鳳が言った。
 珠之助も納得したが、ふと考えたことがあって、言った。
 「そうかも知れませんが、今思い出したことがあります。拙者は、王激の邸で、碧長情をいましめて引渡すことをもとめましたが、その際、王数の子分共が不穏なふるまいに出るきざしがありましたので、その場で首をはねました。あるいは、碧の遺族 − せがれあたりが、父を引渡したことをうらんで、狙撃したのではないかとも思うのですが、いかがでしょう」
 「なるほど、そういうことがあったとすれば、大いに考えられることでごわす。ともあれ、王激の不徳が招いたこと、自ら出ずるものは自らにかえる。古人の言はあざむかざるものがごわすなあ。しかし、一応あのへんをさがして見ましょう。あんた方にとっては父の仇だ。死にきっておらんなら、とどめを刺す必要がある。死に切っているなら、葬ってやらんければならん。死ねば仏でごわすからな」
 王政の乗っていた舟はふわふわと波間に浮いている。四、五そうの舟を漕ぎ出して、そのへんをさがしたが、ひき潮にかかっているので、舟の懲置がかわったらしく、ずいぶん広範囲にわたってさがさなければならなかった。なかなかが見つからない。さがしあぐねた。
 「しかたがない。漁師共をおこしてさがさせましょう」
 と、周天江が言い出し、そうすることにきめた時、一つだけ離れて沖に出ていた舟から、
 「あった!あった!」
▲UP

■スペインに敗れてボルネオを目指した

<本文から>
 ういていた通訳はくるりと足をかえして逃げて来ようとしたが、わずかに数間を走っただけであった。また銃声がおこって、はね上るようにしたかと思うと、たたきつけられ、そのまま動かなくなった。
 その頃から、また砲弾が飛んで来はじめた。
 敵の意志ははっきりした。一人ものこさず殺してしもう決心でいることは確かであった。それはこちらがはじめ白旗を立てた時、少しも攻撃の手をゆるめなかったことで明らかだったのだ。常識にとらわれ、みすみす、陳を死なせるようなことをしたのは、未練千万なことであった。
 人々は自らの不覚に歯がみし、敵の残忍さに髪をさか立てて怒った。
 凄惨な戦闘がつづけられた。砲弾ほ城内の至るところに大きな穴をあけ、土砂をはねとばし、家屋は火を発して燃えはじめた。
 全軍突出して、船にのがれて、湾外に脱出しようということになった。船まで行きつくのが不可能に近い。行きついたとて、五隻の敵船が手をつかねて見ているはずはない。必ずや猛撃を加えるに相違ないのだ。脱出はほとんど不可能と思われたが、万が一にも、いくらかでも助かる者があるかも知れないと思って、やってみることにしたのであった。
 全軍、女子供を真申におしっつんだ一団となり、海に向って走り出した。
 これを見て、陸の敵はどっとおめいて追撃にかかり、敵船はこちらの船に砲撃を加えはじめた。大きな船は破壊され、びっしりとならんだ小さな舟は苫ぶきなので、火を発して燃えはじめた。
 それでも皆走った。帆柱がくだけたおされ、船腹に穴をあけられ、甲板はくだけ飛び散りつつあり、渦を巻いて黒い煙を巻き上げているそこへ、走りつづけた。そこよりほかに血路はないのである。
 港を脱出することが出来たのは、中型のジャンク一隻と、蛋民の苫舟が六隻であった。ジャンクも、苫舟も、かなりに破損していたが、航行出来ないほどでほなかった。
 ジャングに逃げこむことの出来たのは、珠之助大軍栄苛荊、新三郎夫妻、恵信尼、その他の日本人の男女十二、三人、中国人二十数人であり、苫舟にはそれぞれ日本人や中国人の男女が二十入内外ずつ乗っていた。
 林鳳来要をはじめ、余のものは日本人も中国人も、死んだり、身動き出来ないほどの重傷を負うたりして、打ち捨てられるよりほかはなかった。大へんな犠牲であった。自分の夢がこれほどの多数の人を死なせたのかと思うと、珠之助は身のおきどころもないほど若しかった。
 しかし、とりあえずのところは、逃げることに専念しなければならなかった。スペイン船は執拗にあとを追って来るのである。追いつかれては、せっかく脱出することの出来たこれだけの人間がまた殺されなければならない。
 スペイン船は快足だ。普通に広い海を逃げてはすぐ追いつかれてしまう。しかし、船足が深い。大きな波涛を切って遠洋を航海するにはこの方が安全なのだが、水深の浅いところや、深い暗礁のあるところへは行けない。あるいはそれらしく見えるところには危険がって入ろうとしないだろうと思われた。
 珠之助はこれを利用した。南へ南へと進んで、豆腐をぶちまけたように無数に小さい島々の散らばっている申にまぎれこんだ。これらの島々は呼べば答えんばかりにたがいに近接して、その水路はきわめてせまく、水底には至るところに暗礁がひそんでいそうに見えた。吃水の浅いジャンクや、苫舟ならさしつかえないが、スペイン船は危険がるに相違なかった
 推察は見事にあたった。しつこく追って来たスペイン船は、これを見て、へさきをめぐらして遠ざかって行った。もう日の没する頃であった。
 島々の間に舶がかりして、その夜をすごした。
 ジャンクに乗りくんだ人々は甲板に集まり、恵信尼を中心に、南十字星を遠く望んで、犠牲になった人々の魂の安泰のために、夜どおし祈った。キリシタンだけでなく、まだ入信していない人々も熱心に祈った。
 こういう祈りほ、キリシタンの集まっているこのジャンクの上ばかりでなく、苫舟でも似た行事が行われているらしく、終夜灯影が漏れ、時々風の工合で香のかおりがゆるやかな潮風に乗ってただよって来た。
 この祈りが、珠之助の気力を回復させた。
 (われわれは一敗地にまみれたとはいえ、まだ首六十人はいる。男もいれば、女もいる。従って子孫も生める。国とまでは行かずとも、一村落を営むには十分なものがある。どこかに、それくらいの土地のないはずはない)
 と、考えるようになったのだ。
 夜明け前、珠之助はまわりに点々として舟がかりしている苫舟から代表者を集めて、自分の意見をのべた。皆賛成して、竜頭の行くところへついて行きたいと言った。
 「よし、それではきまった。明朝はここを出て、さらに南に行くつもりだ。このあたりは、見る通りおそろしく島が多い。この島の数だ。われわれの永住し得るところくらい、きっとある。望みを失わず、ついて来てもらいたい」
 と、珠之助は激励した。
 人間は久しい絶望にたえるものではない。常に希望を持とう持とうと考えているものだ。意識してはそう思わなくても、意識の直のどこかではその気を失わないのである。珠之助の激励には希望があり、声には気力があった。人々はそれにすがりついた。
 夜明とともに、船は鏑を上げ、帆を上げて南へ南へと向った。
 島は至るところにあったが、珠之助はスペイン人の追撃を警戒して、どこにも立寄らず、南航をつづけた。
 一週間の後、山岳の峻嶮な、見るからに大きな島と思わしい島についた。
 これは彼のミンダナオであったと思われる。
 彼らははじめて岸に上り、飲料水を補給し、生鮮な果実を摂りながら、数日休息した。
 「ここでもよくはありませんか」
 という意見も出たが、ルソン島からずっと島つづきであるのが、珠之助にほ気に入らなかった。マニラのスペイン人共が来る危険があるような気がした。
 こんどは針路をやや西に向けて航行をつづけた。
 一日ほどで、それまで左手に沿っていた陸はつき、あとは小さな島の散在している梅となった。
 その島々の間を縫って、西へ西へと航行をつづけると、四日目の夜明け方、はるかに行く手の水平線の上に、鋭い山のいただきが見えた。海の上はまだ蒼黒い夜の色がしずんでいるのに、ほんの少し見えている槍の穂先のような山のいただきは、宝石か、みがき上げた黄金のとがり矢のように強く実しいかがやきを放っていた。
 こんな時刻に、こんな色にかがやいているのは、よほどの高い山であり、それほど高い山がある以上、よほどに大きな島であるに相違ないと思われた。
 船の進むにつれて、山は高く大きくなり、その左石に、やや低く、しかし同じようにかがやく山の頂きが次ぎ次ぎに見えて来た。天使の群をひきいて、主が迎えたまうような壮厳な芙しさがあった。
 霊感のように閃くものがあった。
 (あそこにこそ、われらの楽土がある)
 珠之助は覚えずひれ伏し、主にたいするようにうやうやしく十字を切り、拝蹄した。
 人々は皆それにならった。
 今はもうかがやく山々の数は一層ふえていた。それが後のボルネオ、当時中国で汚泥といわれている巨島であるとは、誰も知らないのである。
 珠之助らのその後もわからない。
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