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<本文から> その日の夕方また卯月が新しい情報が入ったと知らせて来てくれた。
「今日もまた鴻ノ峯の総攻めが行われたそうでございますが、やほり城方の守りがかたくて、昼過ぎには戦いはやめになったそうにございます」
と、庭先に立って、あたりをはばかるような声で言う。いかにも気の毒げな顔だ。
あわれまれているようで、松寿丸は愉快でなかったが、愛想よく言った。
「今朝方別れて立って行かれた早川鮎介殿が仰せられたことじゃが、城攻めはむずかしいものじゃそうな。まして鴻ノ峯と来ては、骨がおれよう。しかし、やがては落ちる。防長二州に味方のいない今では、あの城は大海の中の離れ小島のようなものだ。しかもわずかに五百の勢でこもっているのだ。
急ぐことはない。兵糧口をしめて、ゆるゆるととり巻いているうちには、餓死するにきまっている。
わしは少しも心配しておらぬ。しかし、知らせてくれて、ありがたいと思う。礼を言うぞ。これからもよろしゅう頼みおく」
「そうでございますか。わたくし、心配でなりませなんだので。−余計なことを申上げました」
卯月の態度はひどくしおらしい。とても昨日の具足をつけたいかめしい姿や、今朝方の括撥な騎乗ぶりを想像することは出来ないような気がした。
松寿丸はあわてた。笑いながら言った。
「いやいや、わしは礼を申しているのだ。これからも頼むと申しているのだ」
いくらか気をなおしたようだが、それでもしおれて、
「それでは」
ていねいにおじぎして、庭を出て行きかけたが、ふと立ちどまると、こちらを向いた。
「あの、今朝方いただきました桔梗、ずっと筧の水につけておきましたが、やっとしゃんとしてまいりましたから、今生けてお居間の床に持ってまいります。仏様よりあなた様のところがよかろうと母が申しますので」
もうしおれた表情はない。明るくいきいきとした様子になっていた。
「それはすまぬ。わしはまた花に気の毒に思ったので、仏様にと思うたのだが」
とまどいに似た気持が、松寿丸にはあった。
「役に立ちさえすれば、花としては本望でございましょう」
というと、卯月はぱっと紅くなり、おじぎをし、同時に向うをむいて、急ぎ足に立ち去った。
松寿丸はもう夕べのけはいの見える床の間をふりかえり、その目を夕日の光の赤く流れている空にうつした。といきが出た。斗目をひねりたいようなものがあった。
予定より一日早く、新三郎は帰って来た。要求してやった通りの、もし徳地衆が毛利の勢力を二州から駆逐することに協力するなら、徳地一郷は年貢課役なしの作りどり、代官らも一切入れないようにするとの輝弘のみ教書をたずさえていた。
「意外に早かったな。わしはどうしても明日になるであろうと思っていた」
と、松寿丸がいうと、新三郎は声をひそめた。
「実は意外なことで早くなったのでございます。最初、お屋形はなかなかお聞入れがなかったのでございます。城井小次郎様にもお願い申し、城井様もずいぶん申上げられたのでございますが、およそ由緒ある神社・仏閣の所領のほかは、守護不入のためしはない。徳地になんの由緒があればとて、きょうなわがままを言いつのる。しかのみならず、この度諸所におこった一揆勢は皆帰服を申しおくっているのに、徳地だけは一向に知らぬふりをしている。しかるを徳地のねだりを聞いてさようなことを許すとなれば、不臣の者が徳をし、忠順なるものが損をするということになって、政道の上にもよくない。また、徳地にならって、他郷も同様なことを願い出ることになるに相違ないのであるが、徳地に許した以上は、許さねばならぬ。許さぬという道理がないからだ。そうなった暁には、防長二州、大内の所領はどこにもなくなる。わしに霞をくらって生きていよというのか≠ニ仰せられて、いっかなお聞入れになる色はなかったのでございます。いかにもお屋形の仰せられることも道理でございますので、城井様もあぐねておられましたところ、昨夜になって、まことに意外な知らせが入ったのでございます。筑前の毛利勢はついに立花城を攻めおとしてしまい、大いに色を直しているとの知らせでございます。それで、先ず豊後勢が色めき立ちました。必定この次ぎには毛利方は九州から手を引くとて和議を言い出すであろう。宗麟様がお聞入れなくばそれまでのことながら、長陣にあぐねておられること故、ひょっとしてお聞入れになれば、毛利勢は怒涛の勢いで帰国してまいるであろうとの、取沙汰がしきりに行われはじめたのでございます。それで、お屋形もにわかに思案をかえられまして、こうなれば一刻も早く二州をかためねばならぬと思われたのでございましょう。今朝方、にわかに拙者をお呼び出しになり、このみ教書をたまわったのでございます。仰せつけ通りのみ教書をいただくことが出来たわけではございますが、よろこんでよいことではございません。城井様もきつう先きざきを案じてお出ででございます」
松寿丸の萎えていた事態になったのだ。しかし、あまりにもそれは早すぎた。
もう日が暮れていたが、松寿丸は使いを明証寺の助左衛門に出した。
「使いの者がお屋形のみ教書をもらって来た。それについて、その方共が皆そろっているところで話したいこともあるから、そちらに行きたいと思う。会ってくれるであろうか」
という口上。
使いはすぐ帰って来た。
「わざわざのお運びは恐縮でございますが、そちらさまからのご所望でありますれば、お待ち申しています」
という返答であった。
松寿丸は供まわりの者を三人だけ連れて、徒歩で出かけた。
どうせ毛利家が立花城を奪取したことは、一両日のうちには助左衛門らの耳にも入るにちがいないから、かくしても無駄だと思ったのだ。うわさとしてゆがんだ形で、あるいは針小棒大に聞かせるより、こちらの口からありのままに耳に入れた方が有利であるとの計算もあった。
こうなった以上、一揆の幹部らの心理は相当動揺し、あるいは前とは模様がかわって来たなどと言い出して、間窺はむずかしくなるかも知れないが、それにしてもこの際としてはこちらから正直に打出すのが最上の方法であると判断したのだ。
松寿丸は心中きびしく緊張して、宵暗の道をたどった。 |
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