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          三国志 英雄ここにあり(中)

■曹操が家臣の反対を押し切って関羽との三約を果たす

<本文から>
 関羽が残した一書は、曹操が、朝食の席に就いた時に、呈しられた。
 ・・・・・・・・前に、羽、下?の守りを失い、請うところの三事、配に恩諾を蒙る。いま、故主が、袁紹軍中に在るを探り、昔日の盟を思い、豈達背するを容さんや。新恩厚しと錐も、旧義忘れがたし。ここに、書を奉じて告辞す。
曹操が、一読し了えた時、北門の守将から、関羽が、車杖鞍馬、三十人をひきつれて、門を押し通って、北を指して落ちて行った、と急報して釆た。
 つづいて、関羽に与えておいた舘を調べた巡邏隊の隊長からの報告がもたらされた。
 邸内は、一塵もとどめず、きれいに浄められ、贈った品物は、ことごとく残してあり、漠寿亭侯の印綬も、そのまま、堂上に懸けてある、と。
「ふむ!」
 曹操は、宙へ双鉾を据えて、ひくく、坤いた。
 そこへ、あわただしく、一将が、入って釆た。
「丞相、ねがわくは、それがしに、鉄拳二千を与えたまえ。直ちに往って、関羽を生捉って、丞相に献じ申す」
 と、願い出た。
 諸将中、替力五十人力を誇る蔡陽であった。
 曹操麾下で、張遼をはじめ、徐晃、夏侯惇ら、いずれも、関羽に敬服しない将軍はなかったが、一人、蔡陽のみは、関羽に対して、反感を抱いていた。
 曹操は、冷やかに、蔡陽を見やって、
 「来ることも、また去ることも、清らかな水のごとき明白は、あっばれ偉丈夫の進退と申すべき関羽である。その方も、これを手本にするがよい。・・・・・・・・追うことは相成らぬ!」
 と、きめつけた。
 その時、程cが、姿を現した。
「わが君!関羽は、あれほどの厚遇をたまわり乍ら、いま、暇も告げずに去ったときき及びますが、鈞威を冒涜した罪は許されますまい。また、渠を従って、袁紹の陣営に投じせしめんか、虎に翼を添えるにひとしいことに存じます。いま、追跡して、これを殺し、後患を絶つのが上策ではありますまいか」
 つよい語気で、迫った。
 もうその時には、諸将が、ぞくぞくと姿をみせた。
 曹操は、緊張した諸将の顔をずうっと、見渡してから、
 「ならぬ−」
 と、云った。
 「余は、ききに、関羽を、この許都にともなうに当って、三約を成した。関羽は、それを守った。余もまた、これを守らねばならぬ。余は、財賄を以て、渠の心を動かすことはできなかった。また、爵禄を以てその志を移すことも叶わなかった。関羽霊長こそ、真の武人と申すべきであろう。その去るにあたっての見事さをみるがよい。金銀財宝はことごとく、庫におさめて、一物も持ち去らず、印綬さえも残して行った。斯かるまねが、余人にできるであろうか。・・・・・・・・張澄、その方一騎で、追うて、関羽を、しばらく、とどめておけい。余が、あとより馳せて、追いつき、関羽のために、その壮行を見送ってやりたい、と思う」
 そう命じた。

■劉備は勝って領土へ引き上げたことはなかった

<本文から>
 新野めざして、ただ一騎、馳せ戻って行く劉備は、西涯へ沈む、覆輪はらった巨大な太陽を眺めた時、ふっと、全身から、力の抜け落ちるのをおばえた。
「この広野をさまようわが姿が、この身の生涯の運命を示して居るのであろうか!」
 思わず、生きるのぞみも消えはてようとしかけた。
 顧みれば−。
 おのが戦いの歴史に、勝って領土へひきあげたことが一度でもあったろうか。戦えば、常に敗れて、領土をうしない、あるいは、曹操の食客となり、あるいは、袁紹の前に膝を屈し、さらにまた、劉表のなさけにすがったばかりではないか。
 ただ一度、徐州の城主になったことはあるが、これとても、自らのカで得たものではなかった。
 人の運命は、神がさだめるものとすれば、わが生涯は、このように敗れ敗れて、諸方を流浪した果てに、いずこかの野末で、土と化すのではあるまいか。

■天下三分の計

<本文から>
 その説く抱負は、劉備が指した通り、孔明の胸中で、長いあいだあたためられていたものに相違なかった。
 きわやかな声音は、一語一句のよどみもなかった。
「貴方棟は、帝室の宵、その信義は、天下が承知いたすところ、英雄をすべて味方につけ、賢者を得んと思うことは、渇した者が水を求めんとするがごとし、と申せましょう。きれば荊・益の二州をおのがものとし、西の異族と和をむすび、南の夷民を撫して、国境のまもりをかため、呉の孫権と睦を交わし、やがて天下に変が起こるならば、上将に命じて、荊州の軍勢を率いて宛洛の河南へむかわせ、貴辺様ご自身は、益州の将兵を引具して秦川から進撃されるならば、天下の人民はこぞって、劉皇叔の栄光の日を待ちのぞむに相違ありますまい。その覇業は、やがて、必ず成就いたすこと疑いを入れず、と確信つか£つります」
 「うむ!」
 劉備は、孔明の説いてみせる明快な経略に、思わず、うなった。
 孔明は、
 「猿鬼−」
 と、呼んだ。
 「奥の書屋の棚から、軸を持って参れ」
 すぐに、猿鬼は、それをかかえて入って乗ると、中堂の壁にかけた。
 西蜀五十四郡の図面であった。
 「皇叔−しもし、貴方様が覇業を成きんと欲せられるならば、北は、天の時を曹操に譲り、南は、地の利を孫権に与え、貴方様ご自身は、人の和をもとめて、まず荊州を取って家となし、しかるのちに、この西蜀を手中に納めて、基業を建て、曹操、孫権と相ならんで、鼎足の勢力を競われるがよろしいかと存じます」
 天下三分の計−それであった。
 「ああ、まことに!」
 劉備は、おのが膝を丁と博った。
 「先生の説かれるところ、まさしく、雲霧をひらいて青天の下の無限の大地をのぞむ思いがいたす!」    
 そう叫んで、西蜀五十四郡の図面を、倦かず見入っていた劉備は、やがて、ふっと、眉宇をくもらせた。
 「ただ・・・・・・・・、荊州の劉表、益州の劉璋は、ともに漠室の宗観でごぎれば、この二人を滅してまで、その国を奪うのは、まことに、しのびざるところ−」
 孔明は、その言葉をすでに予想していたとそえて、微笑した。
「身共は、この一両年、荊州、益州に遊んで、館をのぞき、将兵の状況を調べ、人民の声
をきいて居ります。劉表の寿命はすでに尽きて居ります。劉璋は壮健であるとは申せ、すでに、賢臣は面をそむけて居ります。大義の前に、私情は禁物、よろしく、目をあげて、天下の広きをお知り下きいますよう−」
 「よく判り申した」
 劉備は、ふかく、領いた。
 それから、
 「あらためて、お願いつかまつる。・・・・・・・・先生、この玄徳、名は微、徳は薄く、出産を乞うに足りる者ではありませんが、衷心上りお願いつかまつる。何卒、この。臥竜岡を降って、この玄徳をお助け下きるわけには参りますまいか?」
 と、懇願した。
「ひきしく耕鋤をたのしんだために、帷幕に入って、諸将と論議することを、いさきか頼もうといたします」  
 孔明は若年をもって軍師の地位に就いた場合、これまで、劉備と生死を倶にした関羽、張飛らの豪雄連が、その指揮下にあまんじることをこころよしとせぬに相違ない、とた掌を指すごとく判っていたので、それを娩曲に告げたのである。
 この言葉をきいて、劉備は、ふっと、腑向いた。
 無言であった。
 孔明は、その頬を、泪がつたい落ちるのを、視た。
 その泪は、千語万言にまきった。
 「皇叔! それほどまでに、この孔明をお求め下さるならば、今日より、貴方様のために、犬馬の労をとって、おのが力を必死につくしててみることにいたしまする!」

■孔明の出廬に際して夫人が覚悟の自殺

<本文から>
「 その夜、劉備と孔明は、榻をならべて、寝て、天下の事を語り合って、更けるのを知らなかった。
 明けて、やはり劉備がこれまで喰べたことのない美味の朝食を摂り了った頃、孔明は、裏手の家に住む弟の諸島均から、そっと呼ばれた。
 孔明は、劉備にことわって、草堂を出て、弟を視た。
 均の顔面は、蒼白であった。
 孔明は、黙って、弟の家へおもむいた。
 そこに見出したのは、冷たいむくろとなった妻の寝姿であった。その貌、自蟻ごとくなめらかで、口もとには微かな笑みが刷かれていた。
 覚悟の自殺であった。
 劉表夫人蒙氏の姪である妻女は、良人が劉備玄徳の推幕に入ると知るや、いずれは、劉表一族と闘うことになると見透し、良人をして、蔡家の縁戚たることを断って後顧のうれいをなくきせるために、自らの生命をすてる覚悟をきめたのであった。
 出廬に対する最大の贈りものであった。
 孔明は、しずかに、その冷たい頬へ、掌をあてていたが、やがて、弟均に向きなおった。
 「このことは、劉皇叔にお知らせしてはならぬ」
 厳然として、申しつけた。

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