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<本文から> (おいは順聖院様のおあとを追うて、あの時死ぬべきじゃつた。なまじご計画の精神を生かそうと、生きながらえて色々やったものの、結局はなんにもならなんだ。あの時死んでいれば、こげんことにはならんじゃったのだ)
という思いがあった。
西郷は豪傑の資質を最も大量に持って生まれた男であり、無神経と思われるくらい物に拘泥しなかったが、その倫理感覚は最も純粋鋭敏であった。彼は普通考えられているように清濁併せのむ底の人ではなかった。人の長所には常に心から感服尊敬する、最も謙虚な人がらであったが、その人物鑑識は峻烈厳格をきわめ、その最も重きをおいた鑑別の標準は、心術が清潔か否かであった。
この標準に照らす時、月照にたいする藩政府の態度は言語道断であった。一藩の安全のために幕府を恐れて、堂々たる大藩が忘恩不信義、匹夫も恥ずるような不潔な行為に堕していると感じた。
「薩摩の精神は先君とともに死んだ」
と思った。生きて行くせいを失った。
この夜、霜月十五夜、冴えに冴えた満月の下で、西郷と月照は、相抱いて鹿児島湾に投水するのであり、この物語はその翌朝から書きおこしたのであり、今までえんえんと書いて来たことは、ここに至るまでの説明である。 |
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