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<本文から> 斉彬はうなずきながら聞きおわり、慶永の手紙を読んだ。
「わしもこちらで気をもんではいたが、やはりのう。井伊の時勢をわきまえないやり方は、いかにも言語道断というほかはない。同志諸侯の心中察するにあまりがある。万策効なくしておわったとはいえ、これからの日本のためを思えば、いたずらになげき悲しみ、あきらめてはおられぬ。そちはどうすればよいと思うか」
斉彬にはすでに胸中に計画があるのだが、西郷の面魂を見て何か抱いているらしいと見たので、こう問いかけたわけであった。
「井伊が大老になった当時、越前守様をはじめ諸大名方も、幕府の諸有司、も、井伊は紀州びいきではあるが、田舎育ちの知恵なし大名にすぎぬ故、何ほどのことも出来はせんと仰せられていましたし、今でもそう思っている方々もあります。それで、わたくし共もそうであろうとはじめのうちは思うていたのでごわすが、その後の井伊のやり方を見ていもすと、知恵のほどは知らず、相当以上の人物であるように見えてまいりもした。何より、ぜひとも水戸派の勢いをたたきつぶし、紀州殿をご世子にせんければならんと、最も強い覚悟をもって大老になったことは間違いないと見もす。その威を張ること、近来の大老にはたえてないほどであるをもっても、それはわかると思いもす。そのため、同志の大名方も、越前様をのぞいては、陰でこそいろいろと仰せられもすが、公にはロをつぐんでおられもす。威におびえておられるのでごわす。形勢こうなりました以上、もはや尋常の方法でらちがあ
こうとは思われません」
斉彬は問いかえす。
「尋常の手段ではいかんとは」
「もはや議論ではらちのあく時ではないと見ていもす」
西郷の長所も短所もここにある。彼が今日の多くの史家や批評家に武断派といわれるところだ。見切りの早さ、思い切りのよさだ。三ツ子の魂百までというが、議論ひっきょう無用と、一足とびに思い切るのが、晩年に至るまでかわらない西郷の性癖だ。こんな時、彼は常に死の座にすわった性根をすえる。巨きな目をかっとみひらき、斉彬の日を食い入るように凝視していたろうと思う。
斉彬ほ微笑したろう。
「議論でらちがあかないとあっては、実力をもってすることになるが、刀はきっかけなく抜いてはならんものだ。知っていような」
「拙者はこんどの運動を通じて、最も改革すべきは幕府の政治のしくみであることを痛感いたしもした。万悪の根元は幕府の政治のしくみが、徳川家の安泰と繁栄を第一の目的として、日本の安泰と繁栄が二の次ぎになっていることでございもす。天下の公論を無視して、次代の将軍が、大奥の女中共や一人前でなか将軍の愛憎だけで決せられることをもっても、ようわかることでごわす。大老となり、老中となり、若年寄となり得るのが、譜代大名中の特定の者に限られているという制度もそれでごわす。三奉行その他の幕府の要職につき得るのが譜代大名と幕臣にかぎるというのも同じでごわす。この制度が改められんかぎり、日本の憂えは決して救われず、今日のような暴悪はいつまでも続きもそ。今日何よりの急務は、この制度の改革にあると思いもす。 |
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