|
<本文から>
後藤象二郎がとりなし顔に、
「しかし、建白書はすでに摂政と老中の手もとに提出してある。確答があるまで、挙兵は待っていただけまいか」
吉之助は何も言わぬ。大久保が代って答えた。
「その御相談にも応じかねる」
「どうして、また?」
「なまじいに建白などなされるので、事がもつれて、大事のさまたげになる。……これが西郷の意見だ」
「西郷さん、そのとおりか」
「そのとおり」
話の継ぎ穂がなくなってしまった。
大久保は腰を浮かして、
「失礼する。二つだけ申し上げておく。われわれも貴藩のことには目をつぶる。貴藩もわが藩のことには手を出してもらいたくない」
「と申すと?」
「わが藩の小松帯刀、高崎猪太郎、宮中の中山、中御門諸卿の腰をゆさぶることはおことわりする。ゆさぶられると、ぐらつく者も出る。……討幕挙兵の前に、薩摩が土佐と一戦をまじえるようなことになっては、おたがいの不幸。では、これで」
大久保は西郷に目くばせして立ち上がり、玄関を出た。
玄関には、村田新八、桐野利秋、西郷信吾らはじめ、十人近い薩摩の若侍が待っていて、殺気に似たものをただよわせていた。
後藤と坂本は大久保と西郷の後姿を無言で見送っただけで、もとの座敷にひきかえした。
龍馬は床柱を背負って、あぐらをかき、
「はっはっは、むだ骨を斬ったな。薩摩の芋侍ども、はりきってござる」
「龍馬、笑ってすむことか」
「この上は、おぬしの手腕と力量次第だ。鎌倉以来七百年、武門に帰した大権を返上させる大事業がすらすらと運ぶはずはない」
「他人事のように言うな」
「おい、象二郎、これからは慶喜を相手の真剣勝負だ。二条城に乗りこんだら、生きて帰れると思うな」
「また、そのような……おぬし、大げさすぎるぞ」
「万一、慶喜が建白を受け入れなかったら、腹を切れ。……この大機会を逸したら、その罪、天下に容るべからず。おぬしが二条城中に死んだと聞いたら、おれは海援隊の同志をひきい、慶喜参内の途中を擁して必ず刺す。薩長二藩との盟約にそむき、しかも奉還のことに失敗したら、坂本龍馬、生きていることはできぬ。象二郎、地獄でお目にかかろう」 |
|