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          林房雄-西郷隆盛7

■坂本龍馬に薩摩独力を諭される

<本文から>
 「やがて諸藩にも見はなされ、結局、幕府は自ら墓穴を掘る。……しかし、西郷ざん、高みの見物はいけません」
「おもしろい芝居なら、見物してもよかろう」
「いけません。僕にはあなたと大久保さんの胸中はだいたい推察できます。……薩摩はこの際、しばらく薩南にひきこもり、国力を充実させるために、もっぱら富国強兵の策を行い、時機を待って再び中央に押し出し……」
「よくしゃべる御仁だ」
「はっはっは、勝海舟先生の弟子ですから、舌がまわります。いけませんか?」
「いや、聞こう」
「時機を待って中央に押し出し、薩摩独力で朝権を回復、国威を海外にかがやかせる回天の大業を実行しようと考えておられる。……だが、それはいけません。もし長州がつぶれるのを待って、薩摩の独力でやったら、薩摩幕府ができてしまう」
「ばかなこと!」
 西郷は甲板椅子の上で身をおこし、「坂本さん、あんたは海舟先生の高弟だ。私も海舟先生の言葉はしかとおぼえている。私と大久保の考えていることはどこまでも先生の言われた一君万民の共和政治、雄藩連合だ。薩摩の独力で幕府を倒し、回天の大業が実現できようなどとは夢にも思っていない」
 坂本龍馬は大げさにうなずいてみせて、
「なるほど、なるほど。こいつは僕の読みが浅かった。そこまで考えておられようとは……。おや、あれは薩摩の船ですね」
 南西の微風に帆をはためかせながら、丸に十字の船印をひるがえした千石船が島陰にかくれて行くところであった。
 西郷は早くから気がついていたらしく、即座に答えた。
 いぶすき
「指宿の浜崎屋太平治の持船だ」
「浜崎屋なら知っています。長崎のグラバー屋敷で何度も会いました。町人にしては腹のできた、おもしろい男です」
と言って、急に思い出したように、「西郷さん、たしか浜崎屋は下関で持船を撃沈されたことがありましたね、長州兵に。それも、つい最近…・」
 西郷はうなずいた。
 坂本は声をはげまして、
「いけませんね、薩摩と長州が船の沈め合いをしているようでは。……どうです、西郷さん、高杉晋作に会いませんか。僕と中岡慎太郎が御案内します」
 西郷は答えない。坂本龍馬はかまわずにつづけた。
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■寺島がイギリスを動かした

<本文から>
  寺島はロンドンで、国会議員で前閣僚のローレンス・オリファントと会った。オリファントは初代駐日公使オールコックの書記官として長く横浜と江戸に滞在し、日本に対して深い知識と関心を持っていた。寺島はオリファントに、彼が日本を去ったのちの政情の変化 −幕府衰亡の徴と勤王派雄藩の台頭を説明し、イギリスがフランスよりも有利な立場に立つためには、幕府援助を中止し、京都朝廷の下に統一国家を形成しようと努力しつつある薩摩と長州を後援すべきだと主張した。
 オリファントは寺島を外務大臣カラレンドンに紹介した。カラレンドンは寺島の主張に興味を示し、二回にわたって彼の話を聞いた。
 寺島は諸外国は江戸の幕府と条約を結んでいるが、日本の真の主権者は京都の朝廷であり、その勅許がないかぎり条約は無効にひとしいことをくりかえし力説した。たしかに幕府は現在、軍事上の実権をにぎっているが、この権力は朝廷派の諸藩の抵抗によってぐらつきはじめている。浪人による西洋人の殺傷事件やイギリス公使館の焼打ちなどは、排外主義に見えるが、実は幕府に対する勤王派の抵抗である。幕府は自分の利益のために諸藩の外国貿易を禁じているが、もしイギリスが自由な貿易による利益をのぞむならば、幕府の独占を打破することがまず必要だ。そのためには、政権の朝廷復帰に努力しつつある勤王派の諸藩を援助すべきである。もしフランスと同じ幕府援助政策をとるならば、安政条約は無効となり、イギリスは貿易の利権も失うであろう。
 オリファントは議会で寺島の意見をくりかえし演説した。
 カラレントン卿もついに動いて、パークス公使に対し、「帝権確立と日本統一のために努力しつつある諸藩を援助せよ」という訓令を発した。
 パークスが鹿児島訪問を承諾したのは、この訓令を受けたあとであったが、彼は公使館員にも、それを秘密にしておいた。遠い本国からの指令にそのまま従うことは、東洋問題の専門家をもって自任している彼のプライドが許さなかった。訪問に先立って、馬開港峡の長州軍と幕軍の戦闘を観戦し、長崎ではグラバーと懇談した。グラバーの意見が外務大臣の訓令に近いことが気に入らなかったので、ことさらに反対意見をのべてグラバーを怒らせ、徹夜の議論もしたが、訓令のことはうちあけなかった。どこまでも儀礼的な訪問旅行ということにして、グラバー夫妻を誘い、自分も夫人同伴で長崎を出帆した。
 もちろん、このような事情は西郷も五代も知らず、寺島宗則もまた自分の意見がイギリスの外務大臣を動かしたとは知らなかった。
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