その他の作家
ここに付箋ここに付箋・・・
          林房雄-西郷隆盛6

■二度目の遠島で弁明の返事を書く

<本文から>
  もちろん、吉之助は子供ではない。わっと泣き出したい気持になったというのは誇張であるが、「天を恨まず、人をとがめぬ」心境の中に自分を埋没して、世を忘れ、世に忘れられて暮したいと願う心が素焼の壷のように壊れはててしまったことは事実であった。
 答えようか、答えまいかと迷う気持も長続きせず、わが冤罪を人に訴えたい心が先に立って、弁明の返事をしたためた。
 『当月十一日付の御懇札、同二十三日朝、相とどき、ありがたく拝読仕候。実になつかしく、繰り返し巻き返し候。私かく相成り候なりゆきは、決して申し上げざる考えに御座候えども、如何様ような御疑惑も計りがたく、御安心もなりかね候ことと、よんどころなく、委細申し上げ候間、御一読後は丙丁童子に御与え下さるべく候』
 読んだら焼き捨ててくれという意味であった。
『大島に居たころ考えていたこととは雲泥の相違で、鹿児島の城下は群小勢力が割拠し、闘争し、まったく手のつけようもない有様であった。しばらく静かに観察していたところ、藩の現状はまさに少年国柄を弄すといった姿で、事々物々すべてむやみな事ばかり、藩政府はもちろん、諸官一同、疑迷困惑して、為すところを知らず、志は善意であっても、実際の処置にはうとく、本人は君子のつもりであっても、行うことははなはだ下劣下購で、俗人にさえ笑われることばかりだ。
 いわゆる誠忠派と自称している連中は、今まで低い地位に屈していた者が、急に伸びたので、ぼっと上気してしまい、一口に言えば、世の中に酔って逆上してしまった有様。口に勤王とさえ唱えれば、それだけで忠良な者だと自惚れてしまい、しからば現在どこから着手すれば勤王になるのかと、その道筋を問いつめると、まったく訳もわからず、藩内の状勢の大体さえも判断がつかず、日本全体の大勢もまったく知らず、幕府の形勢も存ぜず、諸藩の事情もさらに弁えず、しかも天下の事に尽そうというのは、実に無知のこわいもの知らずで、手のつけようもない次第である』
 という書き出しで、大島を出発してから、ふたたび遠島に処せられるまでの事情を細大洩らさず、半紙二十数枚にわたって書きしたため、森山新蔵の自殺と田中河内介父子殺害の事にも言及して、
 『私心をもって天朝の人を殺害したことは、実に遺憾のことである。こんなことをしては、もう二度と天下に向って勤王の二字を唱えることはできない。薩摩の勤王もこれかぎりの芝居であって、もう見物人もなかろう』
 大原三位が勅使となり、島津久光がこれを警衛して江戸に下向したというが、それではとても老檜な幕府とは太刀打ちできまい。いまは勅使下向の結果も判明していると思うが、こんな遠海にいてほ事情もわからず、残念この上もないが、あきらめるより仕方もない。
 『自分も大島にいた頃は、今日か明日かと赦免を待っていたので、痛痛も起り、一日一日が苦であったが、今度は徳之島から二度とは出まいとあきらめているから、何の苦しみもなく、安心なものだ』
と書いたが、それでもまだ胸の鬱憤は晴れず、さらにつづけて、
 『もしも国内が大乱に及ぶようなことになったら、その時は何としても帰国するつもりであるが、日本が平静であれば、たとえ御赦免の沙汰があっても、滞島を願い出るつもりでいる。骨肉同様の人々をさえ、事の真意も問わずして罪に落し、また朋友湾」とごとく殺されて、何を頼りにしていいものか。
 自分には老祖母が一人あって、こればかりが気がかりであったが、大島より帰国した時までは存命で、こんな嬉しいことはなく、その後大坂より帰って来たときに死去したが、眉分の目で見送ったのも同様であるから、もう何も心がかりのことはなくなった。
 つくづく世間のことを考えると、とても自分のような者の力で、どうにかなるという形勢ではない。もう馬鹿馬鹿しい忠義立ては取り止めた。孤島の民となって暮らすつもりだから、どうぞお見かぎり下さるべく候』
 筆にまかせて書き捨てた。
 いくらか胸のはれたような気もしたが、苦い後味が残った。事件の真相を、私心を混えず公明に書きしるしたつもりであるが、やはり弁解は弁解である。自分が正しかったことを証明するためには、人の非を挙げなければならぬ。いっそ、このまま焼き捨てようかと考えたが、名も知れぬ孤島の寒村で、いつどんな事故や粁気で死んでしまうかわからぬ身の上だと思うと、せめて、友人同志の一人や二人には事の真相を知っていてもらいたかった。
 書き流したまま読みかえさず、そのまま封をして官登菩に托した。
▲UP

■生死、天の理について子どもたちに講義する

<本文から>
  孟子の講義である。吉之助は噛んで含めるように、少年たちに説いた。
 「天寿とは若死することと長生きすることだ。お前たちはまだ若いが、生死は人生の大問題だ。学問する者のよくよく工夫を要するところだ。生死ということがわからんでは、天性ということはわからぬ。生きているものは一度は死なねばならぬということは、誰でもわかっていることでありながら、人間というものは、生を惜しみ、死を嫌う。何故か、思慮分別を離れ得ないからだ。小ざかしい小知意であれこれと思い迷うからだ。小知意を働かせれば、欲心というものが仰山起ってきて、天の理、人の道を覚ることができない。天の理というものがわかったら、天寿ということを気にかけることはなくなる。ここが肝要だ。お前たちはいつどうして自分が生れて来たか知っているか。誰も知るまい。われわれはただいま生れたということを知って生れて来たものではないから、いつ死ぬということを知ろうはずがない。だから生か死かと考え迷うことは無駄なことだ。生きていると思うから死ぬということが気にかかる。生きていないと思えば、つまらぬ思慮分別は湧きようのないものだ。生と死は二つあるものではない。生は死であり、死は生である。ここをよく合点すれば、何事にも迷わぬ不動心が生れそここを合点できれば、そこが天理の在りどころで、為すこと言うことも、一つとして天にはずることはない。自分の一身がそのまま天理になりきれば、身修まるー即ち修身という針のだ。真の修身ができれば死ぬことは恐しいことでもなんでもない。天命のまま、天より授かったものをそのまま天に復すのだ。死も生と少しもかわることがない。生れるのも天命、死ぬのも天命、若死も長生も天命を全うしたということで、つまり同じことなのだ。…‥・わかるな。ぜひともわからねばならぬぞ」
 人に説くよりも自分に言いきかせる講義であった。
▲UP

■中岡から薩長が手を握るよう話す

<本文から>
「あんたは攘夷家だと思っていたが……」
 「もちろん攘夷派です。ただ、擾夷は日本だけの専売だと思ったら大まちがいだ。攘夷は万国共通の道です」
「それはどういう意味ですかな?」
「今日世界に覇をとなえている国はすべて攘夷を実行したという意味です。アメリカはかつてイギリスの属国だった。イギリスの王と諸侯はこの属国をしぼりあげることに専心し、アメリカ国民の生活は日に日に困窮した。この時、ワシントンという人物が現れ、民の病苦を訴え、十三州の民をひきいて立ち、イギリスの支配を拒絶して鎖国撰夷を行った。戦うこと七年、イギリスは和を乞い、アメリカは独立して合衆国と号し、一大強国となった。今を去ること八十年前のことです。ゼルマニアもかつてイスパニアの属国だったが、よく国論を統一し、拒絶撰夷を行い、戦うこと八年、戦うごとに破れたが、最後に到って大いにイスパニア軍を破り、独立したのです」
「ほほう、それで?」
「わたしの撰夷の策は、今は涙をのんで、深く外国と結ぶことです。涙して呉に妻あわすという故事もある。…今は諸外国に留学生を出し、外国人技師を雇い、国産を開いて民をうるおし、武備をととのえ、兵を練り、しかる後にワシントンの如く立ち上って外夷と一戦する。……あなたの前ですが、島津斉彬公の御遺策もこれではなかったのですか?」
 西郷は大きくうなずいた。
 中岡はつづけた。
「長州人もこの道理はよくわきまえている。吉田松陰がアメリカにわたろうとしたのは、擾夷の志によって彼の長をとり、わが短をおぎなおうとしたのです。松陰の高弟高杉晋作は言っています、現在の英仏は強国であるが、現状をそのまま手本とするのはまちがっている。日本が手本としなければならないのは、英仏が未だ盛んならざる時、いかにして国をおこしたかを学ばなければ益はない…これは卓見です。長州にも斉彬公と相通ずる大志と卓見を抱く人物はたくさんいます。にもかかわらず、あなたは長州をたたいた」
「たたくべき理由があったからです」
「理由?」
「わたしは長州をほろぼそうとは夢にも思っていない。しかし、回天の大業は長州一藩の力で行い得をと自信しているそのうぬぼれはたたかねばならぬ。あんたの言われるとおり、国論の統一なくしては真の攘夷はできない。斉彬公は撰夷は五十年後、百年後の大計として深く胸中におさめよ仰せられた。長州は時期をあやまって兵を動かし、国論を分裂させたばかりか、無謀の擾夷を実行して、自ら外国連合艦隊をまねき立た。これは外国と手を結ぶ幕府の売国行為を利し、日本の亡国をまねく軽挙以外の何物でもない」
「あなたはそこまで考えておられたのか?」
「長州人はさぞかし薩摩人を…特にこの西郷を憎んでいることであろう。だが、ほかに致しかたもなかった。惜しい人物を数多く殺してしまったが…‥」
「そうです。久坂玄瑞も入江九一も死に、平野国臣は六角の獄中で惨殺された。幕吏の槍で突き殺されたそうです」
「えっ、平野が…」
 西郷は絶句した。大きな目からはらはらと涙がこぼれおちた。その涙を見て、中岡の表情がやわらいだ。なぐさめる口調になって、
「ただ幸いに桂小五郎はどこかに生きているようです。久坂は死んだが、高杉晋作は健在らしい。彼らの力で長州の禍を転じて日本を福すことを、わたし論っている。……しかし、幕府はこの際、一挙に長州をつぶすつもりでしょう」
 西郷は断言した。
「いや、わが薩摩が健在であるかぎり、決して長州はつぶさせません」
「長州と手をにぎる時が来たら、にぎりますか?」
「それも約束しよう」
「安心しました」
 中岡慎太郎は、心から安心したように笑った。「わたしは土佐藩だが、あなたを島から呼びかえすために、藩の同志三十名を集めて久光公に嘆願した。いや、嘆願ではない。聞かれなかったら、久光公を斬るつもりだった」
「土佐犬はおそろしい。今夜もあぶなかったな」
「まあ、そんなところでした。あなたにあってよかった。これで安心して、長州に行ける」
「ほう、長州に行かれるのか。今後のことは万事よろしくお願いする」
▲UP

■西郷は勝から幕府の罵倒を聞いて驚く

<本文から>
  西郷は言った。
「まじめにおたずねしているのです」
「こっちも大まじめだよ。西郷さん、正直なところ、今の幕府はとても私の力では動かんね。かりに、この私がナポレオン、ワシントンのごとき英雄だったとしても、手にはおえない」
「なぜです?」
「今の幕閣には、底ぬけの馬鹿者でなければ、手のつけられない古狸ばかりがそろっている」
 吉井幸輔がそばから言った。
「これは手きびしい」
「いや、ほんとの話だ」
 勝海舟はつづけた。長い眉毛の下の白目の多い目が燃えはじめた。「幕府のお偉方は長州征伐はもう終ったと思いこんでいるんだよ。長州は蛤御門で会津と薩摩にたたかれ、下関で外国連合艦隊にたたかれたから、もうつぶれたも同然、足腰立たず、手も足も出ないと安心しきっている。いい気なもんだ。あきれた馬鹿者だ。長州はそう簡単にはつぶれないよ。西郷さんや吉井君を前に言うのは変だが、薩摩も越前もいつまでも幕府の味方だとはかぎるまい。いつ長州と握手するかもしれぬ。それより恐しいのは西洋諸国の魂胆だ。幕閣の御連中は連合艦隊が下関をたたいてくれたから、外国は幕府の味方だと思っている。とんでもない。虎で狼で大蛇さ。すきがあったら、日本を一呑みにしようと狙っている。それに気がつかぬ大馬鹿者、目はあっても節穴だ!」
 海舟は口をきわめて幕府の無能を罵倒した。他藩の者のいる前でそんなことを言ってもいいのか、とはらはらする辛辣な批評であった。西郷も吉井も青山も気をのまれた形で聞いている。
 「大馬鹿者のあいだに古狸が二、三匹まじっているから、なおさら手におえない。例えば老中の諏訪因幡守。いけないね、こいつは。ちょいと頭のきれる奴はみんなずるいよ。老中に話せば、京都の一橋慶喜に聞けという。一橋に問えば、江戸の老中に聞けという。まったく手間をとらせるよ。どこに責任があるか、わからない仕掛けになっているんだ。結局、一橋も狸の仲間さ。曲者だよ」
 飛び火は一橋慶喜にまで移ってきた。吉井がたずねた。
「一橋さんもいけませんか、どんなふうに?」
「さあ、そいつはあんたや西郷さんのほうが知っているのではないかね。あの人は冷たいね。冷酷だよ。水戸の武田耕雲斎の一党を処刑した時の残酷ぶりを見て、あっ、こりゃいけないと思った。貴人情をしらずという言葉がある。育ちがよすぎて、頭が切れすぎると、人間、大切な時に冷酷無残になる。いけないね、苦労と貧乏を知らぬ人物は。おまけに一橋は権力が好きだ。ただの貴公子だと思っていると、とんだ時に背負い投げくわされるよ。失礼ながら、お互いにあんまり育ちのいいほうではない。だから、安心してつきあえる。諏訪因幡守など育ちのよすぎる古狸だ。こっちが正論を持って行けば、去るほどごもっともと同意する。同意するが絶対に実行しない。実行しないどころか、あとでこっそり手をまわして正論の士を退けてしまう。あぶなくて、うっかり物も言えないよ。まったくの話!」
 西郷は大きな目をキラリと光らせて坐りなおした。
「海舟先生、そのような小人好物を幕閣から表する方法はないのですか?」
 勝海舟は苦笑した。
「これはまた大難題だね。内からは無理だよ」
「という意味は?」
「一人や二人の好物をかたづけるのは、わけないとあんたは思うかもしれぬが、衰えたりとは言え征夷大将軍の幕府だ。藩の内部を掃除するようなわけにはいかぬ。まさかこの私が桜田門や坂下門のまねをするわけにはいかないし、やれば松の廊下ということになって、とんだ忠臣蔵だ、あっはっは」
「あなたが進言してもだめですか?」
「いくら進言しても、それを本気で受けとってくれるものが幕閣にいないのだから、どうにも
ならぬ。例えば私があんたの改革案を聞き、これは立派な意見だから実行してみてはどうかと幕閣に持ちこんだとする。諏訪因幡守のような古狸はいかにもごもっともと答えるだけで実行しない。ほかの馬鹿者どもは、勝は西郷にだまされた、薩摩の芋焼酎に酔っぱらったのだと大騒ぎして、私はお役御免、悪くすると島流しにされて、それでおしまいさ」
 海舟は首筋の汗をふいた。
 西郷は膝をのり出して、
「方法はないとおっしゃるのですか?」
「いや、ある。内からではだめだが、外から押すという方法がある」
「拝聴しましょう」
「そう固くなられては……やあ、これはちょうどよかった」
 近江屋の.おかみが酒と料理を女中たちに運ばせて入ってきた。
▲UP

■勝は西郷に雄藩連合、そして公議会を話す

<本文から>
 海舟はつづけた。
 「この危急の際に、日本人同士が争ってはいかん。外国の兵力に頼るなど以ってのほかだ。雄藩連合だよ。それ以外に方法はない。もう幕府を相手にすることはない、毛唐にも見離されたぼろ家だ。実力ある諸藩の力を糾合することだよ、西郷ざん。あんたがもしこの大方針で活動してくれるなら、雄藩の諸侯が京都に出てくるまで、不肖勝海舟、外国と交渉して、毛唐どもを引きとめておく自信はある。おやりなさい、西郷さん。雄藩連合だ。これにくらべれば、長州征伐など大した問題じゃない。誰も長州をつぶすつもりはなかろう。暴発の責任をとらせるだけのことだ。薩摩と越前だけでもかたづくことだよ。そうではないか、青山さん。将軍様の出京を待つ必要はない。総督がきまらなかったら、副総督だけかついで、さっさと出かけるがよい」
 西郷は頭をさげた。
「今夜は、実に珍しい意見を聞かせていただきました」
「なに、私だけの特別な考えじゃない。肥後の横井小楠、幕臣ながら大久保一
翁、京都木屋町で殺された佐久間象山も同じ意見だった」
「象山先生はお気のどくな…‥まったく惜しい人を殺しました」
「ああ、象山という男は私の義弟で、いくらか気障なところもないではなかったが、着眼は大きかった。たしか惜しい男だ。日本人同士が争うと、惜しい男たちが殺される。安政の大獄は吉田松陰、橋本左内を殺した。禁門戦争は久坂玄瑞、入江九一、それから平野国臣まで殺してしまった。取りかえしのつかぬことだ」
 海舟は顔をふせて、しばらく黙想していたが、やがてきっとなって顔をあげ、「しかし、西郷さん、長州にもまだ桂小五郎、高杉晋作などが残っている。イギリスからとんで帰ってきて講和論をとなえている井上、伊藤などという青年もいるじゃないか。この連中を殺してはいけない‥…・私はアメリカヘ行って見てきたよ。あちらは共和政治で、諸州から選出された人材が公議会をつくり、衆知を集めて国是を定める仕掛けになっている。これは学ぶべき制度だね。西郷さん、あんたほまず雄藩連合をつくる。その力で長州を謝罪させ、返す刀で幕政を改
革する。家柄身分などにかかわりなく天下の人材を挙げて公議会をつくり、公論によって国是を定める。このほかに、難局打開の道はないね」
「その共和政治と公議会というのをもっとお聞かせ騎いたい」
「ああ、知っていることは何でもお話しょう。まだ夜は長い。さあ一献、行こう」
▲UP

メニューへ


トップページへ