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<本文から>
「一座が沈黙したのを見ると、大久保はごろりと横になり、片手をのばして盆の上の干菓子をつまんではぼりぼりと噛んだ。子供っぽい議論は聞きたくないといいたげな不敵な態度であった。
まったく大久保は激派と自称する連中の議論には聞きあきている。無責任な悲憤憤慨か、然らずんば紋切型の抽象論で、そんなものに従っていては、実際の問題は何一つ解決しない。酒の肴の怪気焔として聞き流すことにも今はあき果ててしまった。
彼の頭の中には、もっと切実で、もっと重大な問題が燃えている。いかにして藩政の実権をにぎるか、しかも、それはすでに夢でもなく、机上の計画でもない。一歩一歩実現の可能性が見えはじめているのだ。藩政を掌中におさめさえすれば、いっさいの枝葉の問題は解決する。激派をもって自任する連中は根本を忘れて、枝葉の問題について昂奮しているのにすぎない。彼らの憤慨と抽象論によっては何事も解決されぬ。真の激派は彼らによって「自重派」だと攻撃されているこの自分なのだ。
「大久保さん」
村田新八が我慢しきれなくなって叫んだ。「あんたはわれわれをいつまで待たせるつもりか。
殿様はいったいいつ御進発なされるのです。御返事はいついただけるのです」
大久保はものうげに身体を起した。
「御返事ならいつでもいただける。ただし、かならずしも即時御進発というお返事ではないから、俺も苦労しているのだ」 |
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