その他の作家
ここに付箋ここに付箋・・・
          林房雄-西郷隆盛4

■安政の大獄の始まり

<本文から>
  手紙によれば、−吉之助の一行が京都を立ち去った後、ほとんど間髪を容れぬ時刻に、町奉行小笠原長門守の手の者が鍵屋を襲ったという。捜索して、目ざす薩摩人がいないのを見ると、鍵屋の亭主と老母を卸町奉行所に拘引し、訊問すこぶる厳重を極めたが、隠匿の事実なしと絡められて、やっと釈放された。
 だが、捕吏四十余名はただちに大坂に向った模様。同時に在京の有志はぞくぞくと縛につき、その人名の詳細はまだ明白でないが、範囲はすこぶる広く、宮家、堂上家の諸大夫にまで及んでいる。この分では薩摩藩士とても、決して安全とはいい難いから、この手紙を見次第、帰落するのが上策であろう、と奮いてあった。
 吉之助は黙って手紙を一同にまわす。四人は読み終って、それぞれ感慨深げな面持であった。
 「どうも、こりやあ、留守居役のおどし文句じゃないかな」
 真っ先に口をきったのは俊斎であった。「もしこの手紙の通りなら、俺たちが今日まで安全なはずはない。京都は無事に逃げたとしても、伏見あたりでは、かならず捕っているはずじゃないか。…:おどし文句だよ、こりゃあ」
 「ところが、そうでないのだ」
 伊地知正治は首をふって、「俺は伏見の文殊屋で、たしかに四十人あまりの捕まっ手に取り巻かれた。君たちの舟が出て、一時間とたたぬ時刻だったから、この手紙に偽りはない」
 「四十人?……そんな大勢にかこまれて、どうして逃げられた?」
 「あまり名誉な話じゃないが、女中の機転で、最初は女中部屋の押入れ、その次には便所の中にかくれて、危いところをまぬかれた」
 「ふうん」
「俊斎、まあ意地をはらずに聞け。都落ちに最後まで反対した俺が兜をぬいで逃げ出して来たのだ。京都の事情は実に想像以上だ。……伏見で捕吏が立ち去った後、文殊屋の亭主に聞くと、どうやら大坂方面に下ったらしいというので、俺はその逆を行って、もう一度京称に引きかえした。つまり俺も俺の意地を張り通したわけだが、すでに間に合わなかった。小林良典がやられ、金田伊織がやられ、春日讃岐守、森寺若狭守、伊丹蔵人、富田織部…みんなやられたぞ。これらは宮家、公家の諸大夫だ。……実は俺はそこ吏では手がのびまいと楽観していた。主上の御旨をうけて岩倉具視と千種有文の両脚が奔走し、間部と酒井から、公家の諸大夫には手をつけないという言質を得たと、ある方面から聞いていたからだ。ところがどうだ、今あげた名前で見ると、青蓮院官、鷹司、三条、一条、久我家の諸大夫は全滅だ」
 吉之助がたずねた。 
「近衛家は……近衛家はどうし七?」
「老女村岡が狙われている。だが、それより先に月照と西郷吉之助を縛ろうと幕更はあせっているらしい。鷹司家と水戸、近衛家と薩摩、この二つの結び目をつかめば、あとは判郡だ。敵ながら、よくにらんだと俺は思っている」
 「…………」
 「儒者の頼三樹三郎、坊主の六物空滞、絵描きの浮田一意、ことごとくやられて、民間の被害は公家にも増して惨憺たるものがある。この様子では、網はどこまでのびるかわからない。……俺ももう意地を張るのはやめた。張ろうにも張る意地がなくなった。西郷、あらためて頼む。どうぞ薩摩に帰ってくれ。月照和尚と一緒に帰ってくれ、頼む」
「伊地知!」
「おう!」
 「頼まれるまでもない。俺は薩摩に帰る」
 「帰ってくれるか。ありがたい。……もう俺には策も略もつき果てた」
▲UP

■同志が捕らえられ薩摩へ

<本文から>
 冬枯れはじめた山路をいそぎながら、吉之助は心も枯れるほどの思いであった。老公斉興に面謁を拒絶され、島津豊後にかるく翻弄されて、望みの綱はほとんど切れはてたといってもいい。故斉彬の遺命を実現するための努力と計画と手段のすべてが挫折し、飢饉し、破綻したのである。
 島津豊後は国許において沙汰を待てといったが、だが、それがどこまで誠意のある言葉か、これまでの彼の言行から推せば、およそ想像がつく。斉彬在世中の政策にことごとく、しかも陰険きわまる方法で反対したのも彼である。老公の御命令だと称して大坂駐兵の約束を反古にしたのも彼にちがいない。
 残された唯一の道は、国許の同志を糾合して脱藩突出することである。だが、この捨て身の手段に対する自信も、今となってはゆらぎはじめた。京都にいる時には脱藩突出についての確信はほとんど絶対であった。この確信があったが故に、あらゆる悪条件を無視して、所期の目的に邁進することができたのである。井伊の攻勢がいかに強かろうが、公卿と諸侯が日和見の態度をとろうが、いざとなったら血盟の同志と共に、一発して敵陣に斬りこめばよい。わが命はその場に絶えても、道はおのずから開けるであろう。
 だが、同志の血盟も実にもろかった。井伊の攻撃が開始されると、それは鉄棒の一撃を受けた素焼の壷のようにくだけ散った。
 梅田雲浜も鵜飼親子も小紙良典も頼三樹三郎も、たちまち捕えられて、手も足も出なかった。
 有馬新七、日下部伊三次、堀次郎、橋本左内、金子孫二郎をはじめとする江戸の同志たちは消
 息さえもわからぬバ同志たちがもろかっただけではない。自分自身もまたもろかった。月照とともに西に落ちたことは、近衛公の依托を果し、同時に京都出兵を再挙するためであると頭では思っていたが、心は敵の攻勢におびえて、いたずらに捕吏の追及から逃げまわっていたのではないか。そうでないとは、今になっては断言できない。
 草鞋の紐が足を食いはじめた。吉之助は落葉を踏んで道ばたの石に坐り、煙草に火をつけた。
 煙の味は苦かった。心をやすめるかわりに、鋭く舌を刺した。この十日あまり、夜もほとんど眠っていないことに、吉之助は気がついた。
 (月照和尚はどうしていることだろう?)
 不眠に疲れた目頭にしみる煙の中で、吉之助はぼんやりとそう思った。
 月照とは若松で別れた。下関では、竹崎の白石家に一泊し、主人の正一郎は留守であったが、弟簾作の歓待をうけ、斉興一行はすでに海峡を渡って筑前に入ったと聞いて、若松の港まで早船を仕立ててもらい、そこで月照を北条右門と有村俊斎に托して、吉之助ひとり斉興の行列を追って先発したのである。
 しばらく筑前にかくれていてくれれば、自分はかならず老公を動かして、月照のために薩摩を安全の地となし、無事に一行を迎えるであろうと固く約束した。
▲UP

■大久保は吉之助が死を選ぶことを感じる

<本文から>
  (月照は吉之助の命を助けた、あるいは命をのばした。だが、命を助け、命をのばすために、あまりに大きな夢と、あまりに大きな責任を吉之助に与えすぎた)
 と、大久保市蔵は考える。(この夢が破れ、この責任が果せないとわかったその瞬間に、吉之助は死ぬであろう。かならず死ぬにちがいない)
 市蔵は背筋に冷気を感じた。自分の結論の冷酷さに気がつく。だが、それに間違いなかろう、と自分の知恵を信ずる気になる。市蔵もまた三十の青年である。吉之助を情に溺れすぎる男だときめてかかっている彼は、自分が理知に頼りすぎる男であることに気がつかない。
 (尊王討幕の大義を夢だというのではない。月照が西郷に与えた。あるいは西郷とともに謀った、その手段と実行の方法が、八方ふさがりの情勢の中で、一つの夢に化し去った。
 江戸や京都で動いている諸藩有志と称する連中は、天業恢宏の大業が明日にも実現すると思いこんでいるらしい。日下部伊三次は神武創業をいい、伊地価正治は建武中興を語る。浪人儒者もそれをいい、公卿の少壮組もそれを唱え、地方の豪農富商の子弟もまたそれに和する。そのことを悪いとはいわぬ。間違っているとも思わぬ。自分もまたこの大理想のために挺身する決心であるが、この理想がいまただちに、京都出兵論となり、吉野遷幸論となり、彦根攻略論となって現るる場合、自分はそれを夢だといわざるを得ない。
 自分はまだ一度も江戸にも京都にも行ったことがない。西郷と一緒に、肥後の熊本まで行ったのが藩墳を越えた最後である。有村俊斎ごとき飛び上り者の目から見ても、自分はずぶの田舎者であり、地五郎であろう。だが、田舎におろうが、地五郎であろうが、見るべきものは見、眺むべきものは眺めている。渦の外にいたから、幸いに溺れなかった。風の外にいたから、幸いに風邪にもかからなかった。少くとも、こんどの問題については自分の判断の方が正しい。俊斎坊主のように自棄になってもいなければ、西郷のように鬱して為いない。
▲UP

■大久保が斉彬の大雄略を聞き驚愕する

<本文から>
  読みながら、大久保市蔵は圧倒された。斉彬の大雄略については、かねがね聞いていた。だが、それがこのように文字に現れたのを見たのは今夜がはじめてである。
 この大雄図を前提として、すべてを考えれば、京都出兵も大老斬除も、小茶飯事である。朝飯前で洩る。
 相手は清国いな英仏であり、米露である。この決戦のためには、急速なる国内の統一と軍備の充実が必要である。国内の統一のためには、皇権を恢宏し、天皇御親政の古えに還ることのみが唯一の道であり、軍備の充実のためには幕府をはじめ諸藩の上層にわだかまる保守退嬰の旧勢力を丁掃しなければならぬ。
 (この大見地よりすれば、撰夷だ開国だと派を立てて争っているのは、まるで子供の喧嘩にすぎない)
 そこまで考えて来ると、大久保市蔵は西郷吉之助の姿がふたたび大きな山のように目の前にそびえ立つのを感ぜざるを待なかった。
(西郷はこの大見地をわが身につけている。斉彬公の遺策を信じ、信ずることによって、わが血肉となし得ている)
 西郷が諸藩の有志、尊擾派の浪士の間に不思議な信頼と人気をかち得ているのは、彼の直情径行だとか、猪突猛進だとか、そのような理由によるのではなく、斉彬の大雄図をわが物としていること、すなわち彼の腹中の大経緯の、おのずから滋る結果かもしれない。
 (西郷という男には、やはり何か底の知れないものがある。彼の現在の心境を自分は簡単に見抜いたつもりでいたが、しかし、小慧しい知恵では及ばぬ深い湖のようなものが、彼の腹中には洋として淀んでいるのかもしれぬ)
 しかし、そうとのみ思いきれないものも確かにある。鹿児島に帰って以来の吉之助は、あまりにも気落し、いら立ち、惟悸と絶望の色が挙動の端にまで現れて、大器というよりも、むしろ小器の相を露呈している。今夜のことにしても、この大危機に臨んで、軽々しく生死のことをロにするなど、少くとも男児の態度ではない、と大久保市蔵は思った。
 (斉彬公はすでに亡い。西郷に魂の心張棒をあたえていたのは斉彬公である。幕府の大攻勢が
 はじまった今日、西郷吉之助が果して島津斉彬の名代をつとめ得るであろうか。まず望めないことだ。西郷はやっぱり死ぬかもしれぬ。……今夜、自分に斉彬公の御遺志をあらためて問い、あらためて説いたのも、実は遺言のつもりかもしれない。危ない。まったく危ない。……なんといっても、西郷は薩摩の正義党の中心である。死なせてはならぬ。彼を死なせないためには、つまり自分が、この大久保市蔵がしっかりすればいいのだ。今となっては、西郷の命を預かっているのは、この自分である)
 それで心がきまった。廊下を帰って来る吉之助の足音を聞きながら、市蔵は両肩を張って坐りなおした。
▲UP

■月照の入水

<本文から>
 吉之助は月照の筆を借りて、首を打ちかしげながら、懐紙に何か書きしたためた。受け取った月照は読んだ。
  二つなき
  道にこの身を捨て小舟
  波立たばとて風吹かばとて
 月照も無言、ただうなずき、吉之助のしたのと同じ動作で、その歌をわが懐に深くおさめた。
 「さて」
 と、吉之助がいった。
 「さて」
 と、月照が応ずる声を聞くと、吉之助は立ち上り、まっすぐに舶先の方に出て行った。
 二人の踏む船板のきしり音は重く、且つ鋭く波の音を貫いて夜の中にひびいた。それに目をさます者はない様子であった。触の船頭は物憂げに首を動かし、足音のした方をすかして見たが、地先に立って何事か語り合っている二人の姿が目に入ると、また、背中を曲げて居眠りの姿勢にかえった。
「あの山は?」
 加治木の町の方角に造かに遠く夜気の中に霞みつつ、群ら山を圧してそびえ立っている山の姿を月照は指さした。
「霧島山、高千穂の峰です」
「おお」
 月照は船べりにひざまずいて、両手に海の水をむすんで手を潔め、ロを潔め、神代ながらの山の姿に合掌した。吉之助は立ったまま、月照の祈りの姿にならった。傾く月はただ無心に、二つの座像と立像に斜めな光を投げていた。
 やがて月照は立ち上り、左の手をさしのべ、吉之助の右の手をしっかりと握りしめた。二人は向い合った姿勢になった。
 吉之助は月照の肩に左の手をかけて、
 「では」
 といった。
 「どうぞ」
 と、月照が応じた。
 「御免!」
 吉之助の叫び声と同時に、二つの姿は一つになって船べりを飛んだ。
 流れぬと見えた薩摩潟の水は、追い風を帆一杯に受けた船を離れれば急流であった。水煙とともに二人の姿を呑み終ったと見えた次の瞬間に、水底から吹き上る真白な水泡は船の艦の方に押し流され、居眠りからさめた船頭の目の前で身投げ人があったかのような錯覚を起させた。
 「あっ、ああ、ああッ!」
 言葉をなさぬ船頭の叫び声に、まず坂口音兵衛、つづいて平野国臣がはね起きたが、その時には吹き上げる水泡も消えて、事もなげな一筋の水脈が船路の跡を示しているばかりであった。
 「御使僧!‥…西郷殿!」
国臣が叫んだ。
 「不……不覚!」
 坂口吉兵衛は歯をくいしばって唸り、足元の舟船を引き剥ぐと見る間に、両手に差し上げて海の面にたたきつけ、同時に腰の脇差しを抜き放って空を払った。張りきった帆綱が音を立ててはね上ると、六反帆がからからと畳まり、見る見る船脚が落ちた。
 こらえかねたような人の泣き声が艦の間に起った。重助が舟船にくらいついて泣いていた。
 月影の中に歌が聞えた。人間の耳には聞えぬ歌声であった。
  曇りなき
  心の月の薩摩潟
  沖の波間にやがて入りぬる
▲UP

メニューへ


トップページへ