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<本文から>
手紙によれば、−吉之助の一行が京都を立ち去った後、ほとんど間髪を容れぬ時刻に、町奉行小笠原長門守の手の者が鍵屋を襲ったという。捜索して、目ざす薩摩人がいないのを見ると、鍵屋の亭主と老母を卸町奉行所に拘引し、訊問すこぶる厳重を極めたが、隠匿の事実なしと絡められて、やっと釈放された。
だが、捕吏四十余名はただちに大坂に向った模様。同時に在京の有志はぞくぞくと縛につき、その人名の詳細はまだ明白でないが、範囲はすこぶる広く、宮家、堂上家の諸大夫にまで及んでいる。この分では薩摩藩士とても、決して安全とはいい難いから、この手紙を見次第、帰落するのが上策であろう、と奮いてあった。
吉之助は黙って手紙を一同にまわす。四人は読み終って、それぞれ感慨深げな面持であった。
「どうも、こりやあ、留守居役のおどし文句じゃないかな」
真っ先に口をきったのは俊斎であった。「もしこの手紙の通りなら、俺たちが今日まで安全なはずはない。京都は無事に逃げたとしても、伏見あたりでは、かならず捕っているはずじゃないか。…:おどし文句だよ、こりゃあ」
「ところが、そうでないのだ」
伊地知正治は首をふって、「俺は伏見の文殊屋で、たしかに四十人あまりの捕まっ手に取り巻かれた。君たちの舟が出て、一時間とたたぬ時刻だったから、この手紙に偽りはない」
「四十人?……そんな大勢にかこまれて、どうして逃げられた?」
「あまり名誉な話じゃないが、女中の機転で、最初は女中部屋の押入れ、その次には便所の中にかくれて、危いところをまぬかれた」
「ふうん」
「俊斎、まあ意地をはらずに聞け。都落ちに最後まで反対した俺が兜をぬいで逃げ出して来たのだ。京都の事情は実に想像以上だ。……伏見で捕吏が立ち去った後、文殊屋の亭主に聞くと、どうやら大坂方面に下ったらしいというので、俺はその逆を行って、もう一度京称に引きかえした。つまり俺も俺の意地を張り通したわけだが、すでに間に合わなかった。小林良典がやられ、金田伊織がやられ、春日讃岐守、森寺若狭守、伊丹蔵人、富田織部…みんなやられたぞ。これらは宮家、公家の諸大夫だ。……実は俺はそこ吏では手がのびまいと楽観していた。主上の御旨をうけて岩倉具視と千種有文の両脚が奔走し、間部と酒井から、公家の諸大夫には手をつけないという言質を得たと、ある方面から聞いていたからだ。ところがどうだ、今あげた名前で見ると、青蓮院官、鷹司、三条、一条、久我家の諸大夫は全滅だ」
吉之助がたずねた。
「近衛家は……近衛家はどうし七?」
「老女村岡が狙われている。だが、それより先に月照と西郷吉之助を縛ろうと幕更はあせっているらしい。鷹司家と水戸、近衛家と薩摩、この二つの結び目をつかめば、あとは判郡だ。敵ながら、よくにらんだと俺は思っている」
「…………」
「儒者の頼三樹三郎、坊主の六物空滞、絵描きの浮田一意、ことごとくやられて、民間の被害は公家にも増して惨憺たるものがある。この様子では、網はどこまでのびるかわからない。……俺ももう意地を張るのはやめた。張ろうにも張る意地がなくなった。西郷、あらためて頼む。どうぞ薩摩に帰ってくれ。月照和尚と一緒に帰ってくれ、頼む」
「伊地知!」
「おう!」
「頼まれるまでもない。俺は薩摩に帰る」
「帰ってくれるか。ありがたい。……もう俺には策も略もつき果てた」 |
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