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<本文から>
それから一時間ほどの後、磯の御殿の奥座敷、西陽の照りかえしを北向きの窓に避けて、斉彬と吉之助は膝もまじえんばかりの近さに向い合っていた。
斉彬の膝の上には、吉之助が持って帰った松平慶永の親書がのっている。
「そうか!」
左の肱を脇息に落し、頷く斉彬の額は暗い。篤姫よりの来状により、ほぼ形勢は察していたが、これほどだとは思わなかった。慶永公も水戸の老公も、さぞ御無念のことであろう」
「私も・…‥無念でござりまする」
「負けか。われわれの負けか」
「申し上げる言葉もございませぬ」
松平慶永の密書は、
(その一。慶喜擁立のことは、将軍御生母本寿院の死を決したる反対により、ついに瓦解し、紀州慶福に内定してしまった。ほとんど決定と申してもよい。今になって気がついたことであるが、老中松平伊賀守忠周と井伊掃部頭はかねて同腹、掘田正睦が上京する以前に大奥を通じて将軍を動かし、後嗣は紀州慶福のほかなしと申し合わせ、万全の準備整えていたのだ。そのようなことは夢にも知らず、彼らの口先に翻弄されて、最後に背負い投げを喰ったのは、何としても迂潤である。堀田正睦がただひとり頑張ってくれているので、まだ正式の発表は行われないが、大老井伊の決心は思いのほかに堅く、今は堀田の地位さえ危くなっているとのことであるから、問題は絶望と見なさざるを得ない。
その二。慶喜問題により、越前、宇和島、土佐、薩摩は、水戸と通謀して徳川の社稜を危殆に瀕せしめた、と千代田城中大不評判。新大老の権勢におそれてか、昨日まで味方顔の老中、表方役人、さては諸侯に至るまで、われらが敵に御座候。
その三。アメリカ条約問題については、井伊、伊賀両人、非常の決心の模様。両人の申し合せにて、譜代大名の一人を京都に登らせ、幕議は条約締結に一決せりととどけ捨て、勅読を無視し奉らんとする下心。このこと堀田より内々小子へ申しつかわせし次第に御座候) |
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