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<本文から> 「その方らの献策は、いずれも藩の現状を憂うる至誠より出たもので、一々尤もである。だが、よく考えて見よ。このような大事は時と位を考慮した上で実行しなければ大変なことになる。軽率に行ったために、善事が悪事になった例は、今も昔も少くない。
水戸を通じて、藩の内情を幕府に訴えたならば、その後はどうなるか。関係人物は全部幕府に呼び出され、いろいろと吟味が行われた後に、はじめて判定が下るのであるが、そうなれば、かの仙台騒動と同じく、たとえ忠邪が明白になっても、主家の恥辱は世にさらされ、世間の物笑いとなる。
近藤、高崎の事件は、老中阿部正弘をはじめ、水戸斉昭、伊達宗城、黒田斉蒋等の諸侯の理解と協力により、すでに一応円満に解決ずみである。それを今さら、水戸の藤田、戸田を通じて蒸しかえしてみたところで、幕府としては改めて処置することはできない。徒らに公然の沙汰にすることによって事を破るだけである。
忠邪を明らかにせよというが、一方を忠として顕せば、一方は不忠として退けなければならぬ。しかも、その方らが不忠の紆臣として名指している一党は、すべて父斉興の寵臣である。これを紆臣として罰したならば、父斉興は家臣の忠邪を弁別できぬ暗愚の主君となる。それを知りつつ、彼らを罰し、父に悪名を着せて、余の孝道が立つと思うか。
その方ら、そこまで考えた上で上申書を出したのか、余の読んだかぎりでは、上申書は少々軽率に思える。忠義の志はわかるが、思慮は不足といわなければならぬ。
ついでに申し聞かせる。善悪ともに時と位と申すものがあり、善事にても前後の考えなく取り行えば、水戸の斉昭公の例もあるがごとく、思わぬ不結果を導き出す。花も開くべき時節の来る先に無理に聞かせては、天然の黄色はなく、永い盛りもない。人間のことも同様である。何事も時の到るを待って行えば、永久の基となり、騒動の憂いもない。
まして、現代人は、人々利慾にふけり、仏道で申せば末世である。釈尊が鹿園の説法より始めて法華大乗を説き出すまでには、種々無量に変化して説法された。これは衆生を済度する方便であって、無知愚昧の者を承服させるには、そうするよりほかはなかったのだ。政治についても同様、最初から真の目的を掲げて押し、つけたのでは、かえって目的は達せられぬ。利を以って方便とし、あるいは悦ばせ、あるいはなだめ、そのうちよき機会をとらえて、良法をそろそろ取り起し候えば、その法永続致すべく、不服のところへ良法行い申し候とも、一旦は威光におそれ、行われ候ようにても、全体好まぬ心底ゆえ、とかく永続きは致さず候。かつまた何事も急粗に取り行い候いは、万事仕落ち多きものにて宜しからず、堪忍第一かと存じ候。気長く致し候えば、おのずから先より転びかかり候間、その時いかようとも相成り申し候。……薩摩人はとかく気が短い。お互いに気をつけねばならぬ」 |
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