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          南原幹雄 「名将大谷刑部」

■刑部は家康と景勝の和解に尽力しようとした

<本文から>
  刑部には出陣の目的がもう一つあった。会津で家康と景勝の会談をもうけるという遠大な意図があった。人はこれを遠大とうけとるかもしれないが、刑部には普通のことだという意識である。家康とも景勝ともしたしい刑部の立場からすれば、そう難問ではなかった。会津におもむいたならば、ぜひ家康と景勝とを対面させ、おたがいの誤解、いきちがいを解いてやりたいとおもっていた。そうすることで両者の戦は避けられると信じていた。家康も景勝も刑部も小田原征伐でおなじ陣営に属してたたかった仲である。その後景勝と刑部は奥羽征討でも苦労しあった味方であった。
刑部はすでに両日をうしない、毛髪も眉もなく、肉体もぽろぼろになって、いつ命を失くしても惜しくはない身である。せめて景勝と家康との仲をとりもち、できれば家放と三成との不仲をも解消させることができれば本望である。管」りすくない命をそのためにつかいたいと刑部はねがっていた。刑部の出陣はそのための機会である。会津へおもむいて最後の使命に努力したかった。

■三成を説得できず

<本文から>
  もうおたがいに説得は無理だと感じつつも、あきらめきれずに席を立つこともできなかった。二人のあいだは沈黙のほうが長くなった。
 口をひらけば二人の会話は遠い少年時代にさかのぼるしかなかった。現状の話はすでに平行線とわかって心た。二人は昔のことをはなすしかすべがなくなった。
「おれが太閤殿下につかえることができたのは刑部のおかげだ。刑部が茶のだし方をおしえてぺれたのだったな」
 しみじみとした口ぶりで三成は言った。
 「おれは治部の推挙で太閤殿下の家来になることができた」
 刑部も三成につられてしんみりとした口調になった。
 「おれと刑部はおたがいをささえ合ってここまできた。おれたちがいずれも一人だったら、ここまでくることはできなかっただろうL
 三成は刑部にたいしてはいつも自信過剰になることはない。小僧時代のこころの交流が今でもつづいていると言ってよかった。戦国の時代において、三成と刑部ほどかたい友情でむすばれ合った武将たちの例はほかにないだろう。刑部といえば三成、三成といえば刑部と、誰でもすぐにおもい浮かべるひ(水魚の交り)、<刎頸の友)だのと二人の仲を言う言葉がある。
 「同感だ」
 素直に刑部はそれをみとめた。
 若いころの三成はありあまる才気と自信をもってたちまち秀吉の寵愛をかち獲て、めざましい出頭をしていった。刑部は三成に便宜をはかってもらったことはたびたぴである。観音寺の小僧時代とは逆であった。そして三成は若くして秀吉政権の中枢にすわって、諸事をとりしきった。
 三成は武将派の正則、清正、池田輝政、加藤嘉明らとは折合いがきわめて悪かったが、刑部の言うことは本当によく聞き、素直なところを見せた。
 刑部は茶碗で茶を喫するたびに、かつて自分が膿をおとした茶を三成が何くわぬ顔で飲んでくれたことをわすれることができない。刑部はこれで人前で恥をかくことをまぬがれ、何とか面目をたもつことができた。こんなことができるのは三成をおいてほかにはいなかった。
 刑部はこういう三成の人生を最後で間違わせたくはなかった。三成を間違わせることは、自分が間違うことでもある。

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