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<本文から>
刑部には出陣の目的がもう一つあった。会津で家康と景勝の会談をもうけるという遠大な意図があった。人はこれを遠大とうけとるかもしれないが、刑部には普通のことだという意識である。家康とも景勝ともしたしい刑部の立場からすれば、そう難問ではなかった。会津におもむいたならば、ぜひ家康と景勝とを対面させ、おたがいの誤解、いきちがいを解いてやりたいとおもっていた。そうすることで両者の戦は避けられると信じていた。家康も景勝も刑部も小田原征伐でおなじ陣営に属してたたかった仲である。その後景勝と刑部は奥羽征討でも苦労しあった味方であった。
刑部はすでに両日をうしない、毛髪も眉もなく、肉体もぽろぼろになって、いつ命を失くしても惜しくはない身である。せめて景勝と家康との仲をとりもち、できれば家放と三成との不仲をも解消させることができれば本望である。管」りすくない命をそのためにつかいたいと刑部はねがっていた。刑部の出陣はそのための機会である。会津へおもむいて最後の使命に努力したかった。 |
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