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          堀 和久 「大久保長安 ナンバー2の栄光と悲惨の生涯」

■江戸領地替えを、長安は毒を変じて薬となす考えをもつ

<本文から>
「瑞兆でごさいまする。御当家にとりまして、願ってもない大吉と、拝したてまつりまする」
 確信をもった力強い声である。
「うむ」
 家康も肩に力を入れ、満足の色をにじませて、大さくうなずいた。
 家康が擁する上下三万の家臣のなかで、緊急に際し、瞬時に状況を把握して適宜の進言をおこなう能力は、大久保長安を第一とした。
 四天王はもちろん、歴戦の部将たちは、転封という言葉を耳にしただけで烈火の怒りをあらわにし、しゃにむに、秀吉と一戦を交えることを主張するであろう。
 譜代の重臣衆のうち、良識派の大久保忠憐らはただ呆然とし、知忠袋といわれる鳥居元忠・本多正信なども先ず暗として、対策にしばし苦慮するにちがいない。
 関白秀吉のロから出た重要な意志はくつがえせないものであり、一時の逆上から決戦を挑んでも勝目は望めない現実であれば、たとえ凶運であっても敢然と瑞兆に変える発想をするのが長安であった。
 それゆえ家康は、新参ではあるが長安を重用し、このたぴも最初に、長安一人に意見を求めたのである。
「長安、それでは、吉ロである、そのわけをもうし述べてみよ」
「はっ」
 長安の端正な顔面には微塵も動揺はなく、依然、碓信がみなぎっている。家康には頼もしい面構えであった。
「まず、石高がおよそ百万石、増えまする」
「百万石・・・・・・確かか」
「昨年仕上げました御領地五カ国の総検地では、百五十万石と算出出されておりまする」
「うむ」
 長安は、この徳川領総検地の奉行として、総計をも担当している。
「すると、そちは、関東六州は二百五十万石の土地だともうすのか。関白殿下は、石高には触れず、一国半の加増だと恩着せがましくいわれただけじゃが」
「子細不明の敵地であれば、無理もございませんぬ。関白さまは、関東は広くはごぎいまするが未開の荒地が多ければ、二百万石ほどにふんでおられましょう」
「さよう。北条家は、自他共に二百万石を誇っておる」
「じつは、それがし、このたびの軍令に、ふと、御当家のお国替えのこともあるやと思いめぐらし・・・」
「覚えておるぞ。そちは、わしが想像もしえないことを、よくぞ予測するものぞ」
 長安は恐縮の態で、謙虚にこたえる。
「下世話にもうす、岡目八日でごさりまする。殿には、三河をはじめ東海甲信は御威光により切り取られたご愛着の御領地。それがしは、いわば余所者でございますれば、意地悪く物事を見ることができまする」
「そうよのう。わしも、加増と所領替えのことは頭になかったわけではない。あるとすれば、甲斐一国と信濃半地を召し上げられ、そのかわり北条の領地のうち二、三岡の分与、さしひさ一、二国の恩賞が妥当、と推量しておったものじゃ。まさか、発祥由緒の三河まで取り上げられるとはのう。……甘かったか」
 家康は溜め息をつく。が、気をとりなおして、
「話の腰を折ってしもうたのう。それで…」
「はっ。勝手な振る舞いながら、配下の者を関東から出羽、陸奥にかけて潜入させ、土地の実入りを調べさせておきました」
 家康は唸り、手をつかえたままの長安の朗を、つくづく挑める。
「いつもながら、周到なる心掛けじゃ」
「槍をふるっての戦場働きが適いませぬわれら地方者の、勤めにございまする」
「そちは、心ききたる手下を多く抱えておるからのう。・・・しかし、出羽、陸奥の地まで出張らせたとあれば、かの地への転封もあると考えたのか」
「・・・恐れながら、殿が、関白殿は恐ろしいお人、とおもらし遊ばされましたゆえ」
 家康は、かすかに苦笑をうかべ、
「それで、調べによって、関東六州は実収、二百五十万石と算勘できていたのじゃな」
「御意。加うるに、未開の原野が多うございまするゆえ、治水開墾を進めますれば、三百万石は見込まれまする。それに、伊豆には金山の夢もございまする」
「うむ、うむ」
 家康のふくよかな頼に希望の血色が濃くなってゆく。
 長安は膝を進め、声を落とした。
「殿、今一つ、国替えを幸運ともうしあげる大きな理由がごさいまする」
「ほう」
 家康も、ひそめた声につられて順を進め、耳を長安の口元へ寄せた。
「総検地のおりに申しあげたと存じまするが、御重臣衆はもとより、土豪、陪臣の端にいたるまで、先祖伝来の土地との結びつき、我欲が強うございまする。したがって、検地も困難をともない、ひいては、ご領地地支配が徹底しかねる不都合が無しとは申されませぬ。全く新しい土地への移住は、そうした縁故特例の弊害をたち切り、兵農分離の理想を遂げ、武士のすべてを殿の直軍として再組織繊できる千遇一遇の好機かと、つつしみ考えまする」
「よくぞもうした。そういう考えをすれば……まさに、災いを福と転ずることができるのう。長安、わしの胸のつかえが、今こそ、青空のように心地よく晴れわたってゆくぞ」
 家康は身を起こし、眼光を強めた。
「よし。災いを転じて福となす策、これを所領替えの根本としようぞ。この意気込みあれば、新領地での一揆や紛争も、恐れるにあたるまい」

■長安への間謀が逆に魅了されていった

<本文から>
 長安は、つねづね、近親の者や部下に言っている。
「人には、それぞれ天から与えられた分というものがある。その分際のなかで、力の限りに働くことが肝要である。それが、人としての尊さじゃ。わしは、天下統治の人の下にあって、その意を体して奉公することを、おのれの天分と心得ている。そうすることが、わしのよろこびであり、生き甲斐である」
 この言葉に、嘘詐りを嗅ぎ出すことは誰にもできなかった。長安本人が、そう固く信じていたからである。それゆえ、天性の策謀家といえる岳父下問頼竜の夢想を警戒し、きぴしい口調で牽制したのであった。
 一国一城のあるじほどの戦国武将なら誰でも、妻をふくめて人には内心疑をもって接し、敵方はもちろん身内にも絶えず間謀を放っている。
 家康も要心深い。それゆえ、天下を取り得たのである。したがって、家康と本多正信などの近臣は、それぞれの手の者を使って、もともと武田遺臣であった長安の身辺を隠密にさぐっているにちがいない。また、長安が異例の出世をとげ、人脈をふやし、権限が絶大になって
ゆくにつれ、それを嫉む者たちの欠点さがしが激しくなっているであろう。
 しかし、誰もが長安を中傷し、陥れるにたる落ち度、不正、野望のたぐいを摘発できずにいた。そればかりか、間者の多くが長安に魅了され、一種の信者になってく。

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