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<本文から> もう一つ信長のこころにのしかかっていることは、本願寺顕如のうごきでも、義昭がしきりにこころを寄せている甲斐の武田でもない。たった一人の甲賀者、善住坊の存在である。もともとが甲賀忍者であり、忍び活動にたけているために、捜索をするとなるとなかなかにむつかしい。かつて一枚岩の団結力をほこった甲賀五十三家は、現在ほころびを見せ、信長に降った豪族もいる。けれども甲賀はやはり甲賀である。特異な武芸を伝統的に身につけ、一人で百人分のはたらきをすることもあれば、甲賀という特異な地にたてこもって遊撃戦を展開すれば遠来の相手はとんでもない長期戦に引きずりこまれ、あげく甲賀ならではの奇襲戦に敗北の憂目を見る可能性もあるのだ。
信長はけっして甲賀衆をあまく見てはいなかった。なかでも甲賀地侍善住坊にたいして一日も二日もおいていた。千草越えにひそんで鉄砲で信長を狙撃したのも、失敗したとはいえ、その自信と度胸、気概たるや、尋常な者とは言えぬ。
信長はつねに善住坊の影につきまとわれるようになっていた。 |
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