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          南原幹雄−信長を撃いた男

■信長はつねに善住坊の影につきまとわれるようになっていた

<本文から>
 もう一つ信長のこころにのしかかっていることは、本願寺顕如のうごきでも、義昭がしきりにこころを寄せている甲斐の武田でもない。たった一人の甲賀者、善住坊の存在である。もともとが甲賀忍者であり、忍び活動にたけているために、捜索をするとなるとなかなかにむつかしい。かつて一枚岩の団結力をほこった甲賀五十三家は、現在ほころびを見せ、信長に降った豪族もいる。けれども甲賀はやはり甲賀である。特異な武芸を伝統的に身につけ、一人で百人分のはたらきをすることもあれば、甲賀という特異な地にたてこもって遊撃戦を展開すれば遠来の相手はとんでもない長期戦に引きずりこまれ、あげく甲賀ならではの奇襲戦に敗北の憂目を見る可能性もあるのだ。
 信長はけっして甲賀衆をあまく見てはいなかった。なかでも甲賀地侍善住坊にたいして一日も二日もおいていた。千草越えにひそんで鉄砲で信長を狙撃したのも、失敗したとはいえ、その自信と度胸、気概たるや、尋常な者とは言えぬ。
 信長はつねに善住坊の影につきまとわれるようになっていた。
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■信長狙撃の依頼主でさえ信頼できない

<本文から>
 その夜が更けてから、善住坊はお歌をともなって飴江城の本丸をしのび出て、包囲軍のいちばん手薄と見られる城の南方へ抜けた。愛知川の流れが外堀になっており、二人とも音もなく堀を泳ぎわたった。
 堀の向うには柴田の陣の松明や薫り火が夜間のなかにかがやくばかりに城をぐるりととりかこんでいる。
 「善住坊をわたして開城すれば、近江の一郡をあたえるなんて、すごいじゃありませんか。六角承禎なんか問題じゃない、信長はただ善住坊さまだけが憎いってことですよ。たいした大物あつかいですよ」
 無数の松明や篝り火をながめながらお歌は言った。善住坊の大物ぶりがたのもしくもあったのだ。
 「承禎は善住坊などここにはおらんと開城を突っぱねたが、いつ変るかもしれぬのが人のこころというもの。まして六角承禎、その方面ではなかなかの業師ゆえ、時と場合、条件しだいによってはどんなことでもいたす人物だからの。軍使への返事を聞いて安心いたすわけにはいかん。わしとてもそれを鵜呑みにするほどお人好しではないわ」
 甲賀は六角氏に支配され、善住坊はあくまでも承禎の命令をうけて信長狙撃をおこなったのであるが、激変の時代にあっては、主筋とはいえ、全面的な信頼はおけないのである。背に腹がかえられなくなれば、どんなことでもするのが今の時代の流れである。善住坊はそこをよくわきまえ、承禎という人物をよく知っていたからこそ、今夜の脱出行となったのである。
 戦国の天下取り争いが今、信長を中心におこなわれていることは善住坊もよく知っている。すでに六角の力が織田の前でどれほどの威力も持っていないこともよく知る善住坊である。もはや自分の後楯にはなれないことはこのわずか一ケ月ほどのうちでも十分に知らされた。
 「これからどこへ行かれます。力になってくれる人物はどこかにおりますか。善住坊さまを匿い、後楯になるということは信長を敵にまわすということですから」
 「それほどの大物はなかなか見あたらぬ。強きになびくのが世の中だからの」
 この鎗江城を包囲した柴田軍を突破することは、善住坊にとって何程のこともない。問題はその後のことである。善住坊を匿い、まもってくれるほどの人物がいるか否かが問題なのだ。
 「とりあえずどこへ?」
  再度聞かれて、
 「ひとまず甲賀へ行く。甲賀へ行けばまだわしの味方がいくらかはおる。五十三家には織田にしたがわぬ者がいる。甲賀復興はならなくとも、反織田の立場にたつ者はいるのだ」
 善住坊はこたえた。
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■善住坊への竹の鋸の刑

<本文から>
 「いかがいたしましょうか」
 近習の森蘭丸は信長が酒宴の肴に善住坊を見たいと言うとおもってたずねたところ、
「ねんごろに、もてなしてやれ」
 と命じた。
 きびしく縛っていた縄がとかれ、枚がはずされた。善住坊は湯を浴びることを許され、その後、真あたらしい衣服があたえられ、ぜいたくな酒食を供された。はじめは不審をいだいた善住坊だが、持ち前の不敵な性根が頭をもたげ、ままよとうまい酒を飲み、贅沢な料理に箸をつけはじめた。きびしい拷問をうけると覚悟していた善住坊はこれですっかり信長へのかんがえをあらためた。
 「さすがは信長。英雄は英雄を知る」
 つぶやいて、その後やわらかな寝具の中で安眠についた。
 ところが翌早朝、善住坊はぐっすり寝ているところにとつぜん踏みこんできた信長の近習たちによってふたたびきびしく縛りあげられ、枚をふくまされた。昨夜いったん安堵し、油断した後だけに、こころがゆるみ、今度は何倍もの恐怖心が湧きおこった。ふだんの不敵な善住坊の姿ではなかった。
 「善住坊を大手門の前に立ったまま生き埋めにし、通行する者に竹の鋸で一引きずつ引かせよ」
 信長は縛りあげられた善住坊の前にはじめて姿をあらわし、凍るような目で一瞥して冷然と言ってのけた。
 善住坊ほどの剛胆な者がその一言で顔色をうしない、気をうしないかけた。昨日のもてなしは善住坊を腑ぬけにする信長らしい策略だった。
 信長の命令は忠実に実行された。四囲を圧する壮大な大手門の前の大路に穴が掘られ、善住坊は首から上だけだした無残な姿で生き埋めにされた。
 通行人が大勢あつまってきた。岐阜は天下の覇府である。城下はよく整備され繁栄している。
 「鋸を引け」
 番士に命じられて、通行人の中から若い男が引っ張りだされて、無理矢理、竹の鋸を持たされた。再度命じられて、若い男がやむなく鋸の歯を善住坊の首にあてた。
 さすがに善住坊は声をもらさず、堪えた。
 つぎに年寄りの通行人が鋸を持たされ、恐る恐る首にあてて引いた。
 善住坊はふたたび堪えた。
 通行人はさらに大勢あつまってきて、残酷な見世物を見物した。
 そして通行人や野次馬たちによって、善住坊は一引きずつ引かれていった。善住坊は堪えられなくなって叩き、ついに悲鳴をあげた。
 竹の鋸はなかなか切れぬ。身悶えしようにも土の中では身うごきがとれない。一刻(約二時間)ほどたって、約百人の通行人が鋸を引いたが、まだ首の三分の一にも達していない。
 善住坊の悲鳴はしだいに泣き声に変った。
 「て、典膳、頼む……。か、介錯を……」
 半死半生の状態でさらされながら、善住坊のかぼそい嘆願の声が何度となくもれた。
 顔をそむけてとおる通行人もいたが、多くの者は足をとめて残虐な光景に見入っていくのだ。善住坊の嘆願はつづいた。大手門前の大路は大勢の見物人が群れをなし、番士たちは見物人の整理に追われた。
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