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          海音寺潮五郎−蒙古来たる(3)

■時宗をたおす決意をした義直は憶病で実行できない

<本文から>
 蒙古の日本遠征は、本年中には、実行されるであろうとの、陳似道の報せは、赤橋義直にももたらされた。
 陳は、これによって、時宗をたおす決意をうながしたわけであったが、義直はなおぐずぐずしていた。野心家ではあっても、憶病な彼には、成功すれば九天の上に昇り得るけれども、失敗すれば亡滅の淵に叩きつけられるにきまっている、この冒険に乗り出す決意が、なかなかつかないのであった。
「ペルシャ人が、見つかるかも知れない」
 と、一縷の望みをつないだ。
 しかし、再び来た陳の手紙は、瀬戸内海における失敗と、ペルシャ人等が、再ぶ河野通有に連れられて、所在不明になったことを知らせた。
 ヒ首を胸元につきつけられた気持であった。
 それでも、なお、義直はためらった。臆病な人間のくせで、悲観的な結果しか考えられない。戦い敗れて、殺される場面、中途暴露して掃えられる場面等々……。
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■時宗が謀叛を押さえる

<本文から>
 不用意千万な叫びであった。ふりかえった兵等の目に、新手の勢が築垣を乗りこえ乗りこえ、侵入し、下り立つや、殺到して来るのが見えた。兵士等は、一時に戦意を失った。どこやらに恐怖の叫びが上ると、一斉に浮き足立った。
 その兵士共より先きに、大将軍殿は、遁走にうつっていた。
 「防げ、者共! こら、なぜ逃げる!恥を知れ!」
 と、呼ばわりながら。
 逃げる謀反人共を、寄せ手の武士等は、どこまでもと追いかけた。大庭、鞘庭、建物の間、曲り角、木立の間、追いつめ追いつめ、追者射に矢を放った。
 同時に、機会の到来を待って、満を持して、幕府内部にひそんでいた武士等が、打って出た。
 赤橋勢は、狼狽し、混乱し、なすところを知らなかった。せめて、義直でもしっかりしていればだが、その義直は、いつか戦場を離脱して、所在がわからなくなっていた。兵士等は、至るところで殺されたり、おさえられたり、降伏したり、逃げ出したりして、日の入る頃には、叛徒は一人のこらず、幕府から掃討された。
 時宗は、諸有司を召集し、ずっと幕府にとどまって、将軍鮮が警備、町々の警戒、諸民安堵の布告等、すべて指揮し、処置した。
 しかし、残党の討静は、主謀者たる義直の追捕だけを手配りして、深入りしない方針をとった。強硬外交に反対の意見の者が、疑心暗鬼して、動揺することをおそれたのだ。この一挙が、義直と資道だけの策謀にすぎないことを知っていたからでもあった。
 彼は、ほっきりと、二人だけの反逆であることを告示して、無益な疑惑や流言の発生を防いだ。
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■弁別なき義直の裏切り

<本文から>
  「慶元府で聞いたことですが、大宋でも、本国を裏切って、蒙古に節を売った、身分高い者共がずいぶんあった由。あそこで、拙者の世話をしてくれた、あの国の李適という海賊の大将が、その裏切者共のことを憤って、拙者にこう申した。士たる者はしてはならぬことがあって、この心掛けを忘れては、人は必ず乱臣賊子となると。
 その後、拙者はしばしばこの言葉を思い出しては味わっていますが、まことにその通りであると、切に思うのです。
 義直殿は、蒙古に対する執権殿の方針に反対の意見を持っておられた。拙者は、これを悪いとは思わない。これほどの国の大事だ。真に国を憂うる者に、色々な意見のあるのは当然だ。拙者とて、最初は執権殿に反対であった。
 しかし、士には、反対するにしても手段が大事だ。してならないことはしてならないのだ。目的のためには方法ほどうでもよいなどとは、決して考えてはならない。折角の善意が、大悪に転落してしまう。たとえ、一豪の私心がなくてもだ。まして、私心があったら、なおさらのことです。
 善意だけでは、決して義にならない。善にならない。してならないことをしない強さがいるのだ。こうした場合の義と不義の差、善と悪との差、ただこの一点にあるのです。
 義直殿には、この弁別がなかったために、未来永劫、雪ぐことの出来ない売国の奴の汚名を着ねばならないことになられた。
 かなしいと思う。あわれと思う。しかし、なお、考えてみると、あの人がこうなられたのは、当然のことかも知れない。あの人々は、セシリヤ姫を蒙古に渡すことによって、日本の安全を買おうと企てられた。すでに士の性根をとりはずしていなさった。これは、ついには、国を売るに至る性根だ。
 人の本性は、機微のところに、かくれもなくあらわれる。おそろしいものだ。おそろしいものだ!」
 通有は口をつぐんだ。深沈とした面持で、目を伏せていた。うそ寒いものが、人々の背筋をすぎて、かすかに身ぶるいさせた。
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