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<本文から> 蒙古の日本遠征は、本年中には、実行されるであろうとの、陳似道の報せは、赤橋義直にももたらされた。
陳は、これによって、時宗をたおす決意をうながしたわけであったが、義直はなおぐずぐずしていた。野心家ではあっても、憶病な彼には、成功すれば九天の上に昇り得るけれども、失敗すれば亡滅の淵に叩きつけられるにきまっている、この冒険に乗り出す決意が、なかなかつかないのであった。
「ペルシャ人が、見つかるかも知れない」
と、一縷の望みをつないだ。
しかし、再び来た陳の手紙は、瀬戸内海における失敗と、ペルシャ人等が、再ぶ河野通有に連れられて、所在不明になったことを知らせた。
ヒ首を胸元につきつけられた気持であった。
それでも、なお、義直はためらった。臆病な人間のくせで、悲観的な結果しか考えられない。戦い敗れて、殺される場面、中途暴露して掃えられる場面等々……。 |
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