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          永井路子-この世をば(上)

■男の夜遊びはとがめだてされることではない

<本文から>
  男の夜遊びはとがめだてされることではない。いやむしろ、年頃の男が、夜遊びに通うところさえもなかったら、それこそ名折れになるそのころのことだ。倫子との間がはかばかしく行かないからといって、家でごろ寝するほど不器用な男ではないのである。
 たずねれば喜んで迎えてくれる女たちの二、三人はないわけではないが、婿入りするほどの相手でもないから、適当にあしらっては、こうして帰ってくる。しかし、いつまでも実家を離れられないのも男にとって、あまり名誉なことではない。婿入り先も見つけられない甲斐性なしと思われるからである。
 − うん、俺もそろそろ……。
 あごを撫でながらうなずく。目に浮かぶのは倫子の顔−と言いたいところだが、残念ながら、まだそこまでは行っていない。
 − どんな顔立ちなのかな。小柄で年より若く見えるっていう話だが……。
 返事がこないのは心許ないが、しかしまるきり脈がない、と諦めてしまうのは早いかもしれない。
 − まあ、気長にやってみることだな。
▲UP

■兄の道兼は出世欲、道長は女にもてたい

<本文から>
 帝といっても、一条はまだ七、八歳の劫児にすぎない。はじめて道兼がその側近くに這いよったとき、恐怖のあまり、思わず声をあげそうになった。以来、道兼に会うことを一条はひどく嫌がった。
 「あの道兼が母君の兄上なんて、嘘でしょ」
 頑としてきかないのだ。いくら元服前の幼帝といっても天皇は天皇である。その天皇に忌まれては出世はおぼつかない。皮肉にも道兼はわが手で帝位への花道を作ってやった幼い人から手ひどい拒絶に会うのだ。むしろ成人の天皇だったら理性を働かせて、嫌な人間にもそれなりのあしらいをするのだろうが、幼児はその点遠慮会釈がない。
 − あの毛ではなあ。
 燭の下にさらけだした腕のあたり.を思いだすと、道長も苦笑せざるを得ない。
 − あれじゃ全身これげじげじってところだものな。
 同じ母親から生れたのに道兼だけ、なぜこうも違うのか。長兄の道隆は気品ある美男である。長姉は冷泉天皇の後宮に入り、三男一女を産んだ後早死したが、優雅な実女だった。妹の詮子の器量はそれほどではないが、なかなか愛矯があり、一種の魅力の持主だ。道長自身はまず人並、が、道兼はむしろ醜怪だった。したがって女にはもてない。若いころ一条の乳母の藤原繁子と内密な関係を持ち、一女を儲けたが、じつは繁子は父兼家の異母妹である。そういう間柄の結婚もないわけではないが、その後うまくゆかなくて、道兼は実の娘の顔を見ようともしない。その後妻となったのは、これも親戚筋の娘で、その当時としては珍しく、それ以外は浮いた詰もなかった。
 − あれでは女には好かれないな。
 道長はふと思う。
 − 女に夢中になれない分だけ、出世に夢中になるというわけか。
 父親への怨念。長兄への激しい対抗意識。
 兄の執念が、道長には少し異常にも思える。出世と権謀こそが男の生きがいだ、といわぬばかりの言い方を道兼はしたが、はたしてそうだろうか。
 − 男とはそんなものか。
 父や兄のそばにいると、話題はいつもそればかりだが、さしあたって出世の圏外にある自分には、それほど現実感をもって迫ってこない。ただ言えるのは、自分は道兼のように、その世界にのめりこめない、ということだ。
 −それよりも女にもてたい。
 本音はそんなところである。
 − まず、いい相手を見つけることだな。
 道兼が聞いたら軽蔑するだろうが、いい女、やさしい女を見つけることも、男の生涯の大事業ではあるまいか。少なくとも、道兼兄貴より、もう少し楽しげな人生が望みなのだ。
▲UP

■倫子と結婚で道長は新中納言の栄光に

<本文から>
 真相は誰も知らない。ただ、たしかに言えるのは、もし道長が倫子と結婚しなかったら、この昇進はあり得なかったろうということだ。娘婿が権中納言になったことは、雅信のプライドを快くくすぐる。いやそれだけではない。彼が内心ほくほくしているのは、兼家とうまく手を握れたことである。
 このところの兼家の権勢を快く思わなかったとはいえ、正面切って勝負するほどの度胸はもともとない。向うが餌を投げてくれば、喜んで飛びつく。当時の貴族の根性は、まずそんなものだ。
 兼家も雅信との提携は望むところだった。ともすれば小うるさい批判をしたがる別系の藤原氏を押えこむためにも、首班格の左大臣を味方にひきつけたのは成功だ。遠交近攻というところであろうか。しかも雅信に恩を売ると見せかけて、息子を三人までも閣僚クラスに押しこんでしまったあざやかさ。人事作戦の妙というべきだろう。
 しかし、彼らよりも何よりも、稀有の幸運を手に入れたのは道長そのひとだ。それは、権中納言という目先の地位について言うのではない。幸運は、早くも倫子の胎内に根づきはじめている。もっともそのみのりを手にするのはずっと先のことだが……。
▲UP

■平安期は怨念史観のまかり通る時代

<本文から>
 その決意のみごとさを理解するためには、当時のものの考え方を多少知っておく必要があるだろう。
 大げさにいえば、当時は怨念史観のまかり通る時代だった。恨みを呑んで死んだ人物は死後必ず相手に崇る、そしてあからさまな証拠を、彼らは見つづけてきた。とりわけ、皇位や権力の座をめぐって、いかに崇りが取沙汰されたことか……。
 菅原道真はじめ、失意のうちに死んだ人々が、死後怨霊となって、いかに荒れ狂ったか…。
 これら怨霊に対する恐れは、現代の眼から見れば、加害者側のひそかな罪の告白、あるいは良心の苛責現象と見ることもできるだろう。また単なる妄想、迷信のたぐいと笑いすてることも可能である。
 しかし、彼らがまじめに怨霊の崇りを信じていたという平安朝の現実はそれとしてみとめねばならない。ある意味で怨霊思想は、罪を犯した権力者への一般人の政治批判でもあり、あわてて魂鎮めに狂奔する権力者は、彼ららしい責任のとり方をしたともいえる。
 なかでも道真の霊に対しては魂鎮めはしたものの、恐怖はまだぬぐいきれていない。そこに同じく九州に配流された源高明の像を重ねあわせるとき、詮子の恐怖がどんなものだったかは察しがつく。
 −幸い、都に戻られたからいいようなものの、亡くなられた後、円融帝や、わが子一条に崇りをなさらなければいいが…。
 が、そこでいたずらに恐怖にとりつかれ、度を失わなかったところに、詮子のしたたかさがある。ある意味での健全さ、精神の勤さ、といってもいい。彼女は心の奥にひそむ高明への恐れから眼をそむけなかった。しかし、加持祈肩によりすがるのではなく、自分のできる範囲で崇りを防ごうとした。
 − それこそ私のつとめ。
 と覚悟を定めた気配がある。男たちではなく、藤原氏の精神的大黒柱である自分が、その後をひきうけるべきだ、と信じたようだ。だからこそ、詮子は、明子の養育をひきうけたのである。
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■父が死に道長は権力の圏外に置き去り

<本文から>
 その難関をくぐりぬけてきた惟仲である。気もきくし、思慮が深い。その彼は、ちょっと考えるふうだったが、
 「これはやはり、兄弟の御順によるべきかと存じます」
 と答えたのだという。
 結果的にいえば、在国は能力本位、惟仲は常識中心の答え方をしたことになる。
 − が、それだけだろうか。
 惟仲のことだ。在国の答を嘆ぎつけていたのかもしれない。二人は心をあわせて兼家のために働いているようにも見えるが、内心はしのぎを削っていたのではあるまいか。だからこそ、即座に常識に訴えて、
 「御順に道隆さまへ」
 と答えたのではないだろうか。
 しかし、それにしても……。
 − 父と在国、惟仲の問答の中に、ついに俺の名前は登場しなかった。
 圏外におきざりにされているような淋しさは否定しようもない。
 − そりやあ俺は末の弟だし、地位も権中納言だもの。父上の頭の中に俺のことなどなかったのもあたりまえだ。
 理屈ではそうなのだが、父も兄たちも自分の存在などに眼もくれないという現実は、ほろ苦い思いでうけとめるよりほかはない。
 自分が倫子とめぐりあい、さらに明子と結ばれ、恋にうつつをぬかしている間に、道陸と道兼、あるいは在国と惟仲の間には、すさまじい戦いが行われていたのだ。ひとり男の世界から取りのこされ、父を失ったいまは、やはり自分は兄たちの後をとぼとぼとついてゆくよりほかはないのだろうか……。
 父が死んだということの意味が、少しずつ道長にもわかりかけてきた。というより、否応なく思いしらされたというべきか。そしてそのことを、冷酷に思いしらせてくれたのは、はかならぬ兄の道隆だった。
 いや、父の死の以前、関白を譲られたその時点から、露骨な政界工作を兄は始めていたのである。関白就任の直後、まだ兼家が生きていたときのことだが、道隆はまず長男の道頼を参議の座に押しこんだ。彼は左近衛中将兼蔵人頭。つまり頭中将と呼ばれる華やかな地位にすでに就いてはいたが、たった二十歳の青年にすぎない。その未経験な息子に、道隆は閣僚クラスのポストを与えたのである。
 − うっかりしていると、この甥に追いぬかれるぞ、俺は。
 さらにその後には、道隆の次男で秀才の誉れ高い伊周が控えている。むしろ恐るべきは彼の方で、道隆も彼には大きな期待を寄せているらしい。今までは九条流、すなわち兼家一族として父の指揮のもとに歩調をそろえて進んできたが、これからは違う。兄は露骨に、
 − 今後の主流は道隆家だぞ。お前たちは関係ないからな。
と、言っているかのようだ。
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■二人の兄に押えられ頭打ちの道長

<本文から>
 −それなのに、まあ、私は佐理卿の失態の噂にだけ心を奪われて、そのことに気づかなかったのだわ。
 そういえば、思いあたることはさまざまある。数か月前、東三条邸に里下りをしていた皇太后詮子は、内裏に帰るとき、家主の賞として伊周に従三位を授けている。こうした授位は里下りをしたときのしきたりだが、それを実際の家主である道隆が伊周に譲ったことで、権中納言昇進の基礎固めはできたようなものだ。
 − わかりましたわ、あなた。
 倫子は叫び声をあげたくなった。複雑な王朝の政界地図のすべてを理解したわけではないが、少なくとも、倫子はいま、夫の置かれた位置が容易ならないものであることだけは呑みこめた。
 表面は大出世に似ている。
 が、頭は摂政道隆と内大臣道兼の二人の兄に押えられ、道長は序列からいえば九番目、すでに頭打ちの状態にある。しかも後からは道隆の子の道頼と伊周が、一気に差を詰めてきている……。
 そして、上位者に追いつけぬもどかしさより、下の者に追いこされはせぬかという不安の方が、どのくらい男を苦しめるものか、さらに追いぬかれたときの無念さと屈辱感が、いかに男の魂を噴いやぶるものであるか卑おぼろげながら倫子は感じはじめている。
▲UP

■道兼に加担する立場をとる道長

<本文から>
 − あの顔色はどうだ。
 つい、二、三日前会ったときは何とも思わなかったのに、これはどうしたことか。
 − それまでの俺が、ぽんやりしていたということかな。
 そうかもしれない。では、今日になって別の眠が開かれたのはなぜなのか。
 まだはっきり自覚していなかったけれども、じつは昨日を境にして、彼は大きく変ったのだ。道兼に招かれて、兼隆の元服に加冠の役をつとめたことによって、彼は明らかに一つの政治的位置を選びとった。
 それまでの彼は水中にゆれ動く藻のような存在でしかなかった。状況の中で押し流されて一喜一憂し、兄の尻尾にすがって出世もしたが、見放され、蹴落されれば、そのまま泣き寝入りするよりほかはなかった。
 が、昨夜、彼は、はっきりと道兼に加担する立場をとった。そしてそのことが、いままで絶対者だった道隆を、自分と同じ水準にひきおろして眺める眼力を備えさせたのだ。もっとも、当の彼はそこまで気づいていない。ただ自分の眼に驚き、かつ、周囲が少しも道隆の憮悸を案じる気配もなく、その冗談に笑いころげていることに首をかしげている。
 − のんきなものだなあ、みんな。
 道隆の陽気な性格にまどわされて、証も体の衰えに思い及ばないのか。
 「おお、よしよし」
 道隆は膝の上で孫を遊ばせている。
 「柑子を食べぬか。それとも干柿がいいか」
 言いながら、女房たちをかえりみる。
 「ほら、どうだ。この若君、中宮さまのお子だといってもいいくらいだねえ」
「まことに」あいづち
 女房たちは相槌を打つ。
 「もう、とっくにこのくらいのおかわいらしい方がおいで遊ばしてもよろしうございますのに……」
 「そうとも。中宮さま、みんながそう申しておりますよ。お聞きになりましたか」
 おどけた調子の道隆の言葉に、また女房たちは笑いころげる。御簾の外にいる道長には人人の顔は見えない。多分中宮は扇に顔をかくして恥ずかしそうにしているに違いない。そして道隆は……。
 そう思ったとき、道長はふと気づいた。
 −そうだ、あの顔色は……。
 兄の憮悸は、体調のためだけではない。明らかに兄は苛立っている。陽気に冗談を言って笑わせているものの、彼の本心はそれどころではないのだ。
▲UP

■兄の道兼が関白に

<本文から>
 効験のあるという僧や修験者を招いて四六時中祈りを絶やさないようにし、布施もたっぷりとばらまいた。
「これだけやっておりますでな。もう関白まちがいなしでございますわい。ふひゃ、ふひゃ」
 しかし成忠の息子たち、高階明順やその弟の道順は、決して事態を楽観していない。
「何しろ相手が悪いからな」
彼らが手ごわいライバルと見ているのは…口わずとしれた藤原道兼。第一彼は、故道隆の弟だし、右大臣でもある。その上、道隆は死の直前、彼に藤原氏の長者の印を譲っている。氏の長者は藤原氏の総帥ともいうべき地位で、本来は一族の中の最高位者が兼ねるべきものである。が、道隆は伊周の内覧をとりつけるために、妥協策として氏の長者の印を道兼に譲ってしまったのだ。
 −今となっては、この失点は大きい。
−それにあのとき、内覧の宣旨は「関白の病中」ではなく「病の替」と書かせてしまうべきだった。
 明順たちには、つ一つが悔やまれてならない。その上、道兼は名うての業師である。人に探らせてみると、日ごとに道兼の家を訪れる客がふえているという。政治社会の人間は敏愁である。落ち目のところへは絶対寄りつかないし、いける、と思ったところへは、わっとはかり押しかける。
 いよいよ伊周は不安になってきた。そして遂に四月二十七日、彼は決定的な情報を知らされる。道兼に「寓機ヲ関白セヨ」との詔が下ったのだ。追いかけて翌日には正式に藤原氏の氏の長者になった。
 万事休す、である。道隆という親鳥を失った伊周は手も足も出ぬまま、道兼に関白をさらわれてしまったのだ。
 − 策士め、どんな手で帝をたらしこんだのか。
 さんざんに呪ったり罵ったりしたが、これは伊周の見解が甘すぎたのだ。当時は必ずしも直系相続優先ではない。それどころか天皇の系譜を見ても兄弟相続はしばしば行われている。
 さらにもうひとつ−。彼は大きな見落しをしていた。
 母后、詮子のわが子一条帝に対する発言力である。
 道隆亡きあと、彼女の重みはぐんと加わっている。少し冷静に考えれば、亡き関白の遺言と、生ける母親の意見と、どちらが影響力を持つかは見ぬけるはずであったのに……。
 妹の定子が一条を動かすことを、伊周は期待していたのかもしれない。しかし宮中での修羅を何度か切りぬけている母后の詮子と、年若い中宮定子とでは、もともと勝負にはならなかった。
 それにもうひとつ、当時彼らの意識の中に根強く残っていた女系中心の考え方が、この際大きく働いたことも見逃せない。当時は父親中心よりも母親中心の結束が核になっている。つまり同母の兄弟姉妹の結びつきが強いのだ。
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■姉・詮子が天皇を説得し道長が関白に

<本文から>
 すっくと立ちあがった彼女は、
 − あっ、どこへおいでで?
 人々が尋ねる間もなく歩きだしていた。
「女院さまっ」
 続いて立とうとした女房たちをじろりと見やって、
「ついてきてはなりませぬ」
ぴしりと言ったヾ詮子の姿はたちまち消えたが、道長をはじめ宮中に馴れた女房たちは、遠ざかってゆく衣ずれの音のゆくえをたしかめながら、すべてをさとったはずである。
 詮子は夜の御殿−つまり、条の寝所に乗りこんでいったのだ.
 母が息子の寝所へ…‥。それも成人した天皇の寝所へ。ありうべからざることを彼女はやってのけた。
 衣ずれの音が消えたとき、人々は息をつめた。
 − さて、この先はどうなるか?
 道長にも全く予測がつかない。きさきならぬ人に、夜中、寝所に乗りこまれた一条が何というか。
 − まさに前代未聞のなされようだからな。
あのときは止めようがなかった、と鬼女めいた姉の顔を頭にうかべた。
 五月雨はやや勢を強めたようである。′それなり夜の御殿からは何の物音も聞えて来ない。一刻一刻が何と長く思われたことか…‥。
 そして、まんじりともしない一夜が明けかけたとき、人々は遠くでかすかな物音がするのを聞いた。
 異常な静寂の中で、人々は思わず体を固くする。聞き耳を立てる。まぎれもなく衣ずれの音だ! やや足早に近づいてくる気配を感じとったとき、道長は思わず立ちあがっていた。
 その瞬間を、おそらく彼は一生忘れないだろう。局の入口にすっと立った詮子は、おごそかにこう言ったのである。
 「ただいま、宣旨が下りました」
 平伏する道長の頭上に声は響く。
 「権大納言道長に文書を内覧せよとの仰せです」
 言い終ると、顔をくしやくしゃに歪めた。
 「やっと、やっと、言うことを聞いてくださいました」
 頼をつたう涙をぬぐいもしない。が、よく見ると、その眼は泣いていない。いや口もどうやら笑みを含んでいる。例の奇妙な鬼女めいた面影をちらりと見ただけで道長は平伏した。
 いかに一条の説得にてこずったか、詮子はくどくどと語り続けた。道兼を関白にし、道長をしないのは不公平だ、もし伊周をこれに任じ、高階一族をのさばらせたら、それこそ物笑いの種だ、と……。
 語りながら、詮子は母の勝利、女の勝利を噛みしめているらしい。が、またしても彼女は気づかなかったようである。この屈伏によって、一条の心が、ますます定子に傾いてしまったことを……。
 −伊周が関白になれぬとなれば、定子を守ってやれるのは、いよいよ自分一人。
 いままでは年上の女人だったそのひとを、一条はしっかり抱きしめ、愛しぬいてゆこうと決心したのだ。
 強気の母の勝利、世なれぬ息子の敗北。形の上ではまさにそうだ。これはしかし、それぞれの個性の責任であるよりも、むしろ古代から連綿と続いた母后の発言力のなせるわざと見るべきである。古代以来、日本では母后の権力はかなりのもので、しかもときとして爆発的な威力を発揮する。詮子の場合も王朝におけるその一つの現われだったのだ。
 綿々と続く手柄話を、道長はあまり聞いていなかった。といって勝利の実感も湧いてこない。極度の緊張から解放されて、思考停止という趣きだったのかもしれない。しかし詮子がやや不満げに、
 「でも関白はとうとうお許しになりませんでした。とりあえず文書内覧だけですって」
 と言ったとき、ぱっと顔を輝かせて、
 「え、ほんとですか」
と聞きかえして、詮子を不審がらせた。
 − 助かった!
 平凡児はほっとしたのである。
 − 関白にならなければ、死なずにすむだろう。
 そのとき、曙の空をはととぎすの声がかすめた。
 「一声ノ山鳥曙雲ノ外、か」
 きよこん
 許渾の詩の一節がおのずと口に上った。否応なく道長の人生にも曙が訪れようとしている。
 が、一方の伊周や高階一族はその知らせを聞いても、まだ望みを棄てていなかった。
 − 七日で死んだ例もあるぞ。やれ拝め、祈れ!
▲UP

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