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<本文から> 「斬る!」
低い声だが、断乎としていったものだ。
このときはもう、勇もこれをとめようとはしなかった。
大きくうなずく勇へ、軽くうなずき返した土方が、立ち上って
「手筈は、あとで……」
「よし」
土方は、副長みずから島原へ宴会の手筈を打ち合せに出かけて行った。
京に名高い島原の廓は、屯所から北へ十町ほどのところにある。
近藤勇は、土方が去った後も、居室の机の前からうごかぬ。
机上には、墨でまっ異になった半紙がつみかさねられ、習字の手本も数帖置かれてあった。
新選組の局長の一人になってからは、多忙の中を、勇は懸命に習字をやったし、読者にもはげんだ。
それもこれも、一介の浪人部隊である新選組を、
(このままにはしてはおかぬ)
という野心に燃えていたし、
(おれも、このままではいないぞ)
とりあげた筆を、また硯箱へ置き、勇は、庭からきこえてくる永倉新八の掛け声に耳をすませた。
(土方は……永倉のことを、何かいいかけたようだったな。いったい、どういうつもりなのか……?)
芹沢鴨を斬るとなれば、彼の腹心である平間や平山なども粛清してしまわねばならぬし、局長の一人でもある水戸出身の新見錦も始末するつもりの勇だ。
これらの連中は、芹沢一党であるばかりでなく、芹沢をおだてあげ、そそのかし、そのために、
(芹沢の酒乱もつのったといえる)
むろん、近藤派とは反目しているわけだし、隊の統一をみだすこと言語に絶するものがある。
(土方は、永倉も芹沢一味だと考えているのだろうか……)
そう思い至ったとき、勇は胸がさわいだ。
(いかん……永倉を芹沢に近づけたのは、このおれだ。永倉だけは殺せぬ)
何か、居たたまれない気持になり小廊下から玄関へ……。
「局長。お出かけですか〜」 |
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